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      「窓の外の景色」
 
 
 シリィは、遠くの森を眺めて、たとえばこう想像してみたりする。
(あの森には、きみのわるいゴブリンがいる!)
 想像力と書物に事欠かないことだけが、彼女の救いだ。
 魔法王国ラムリアースの一辺境をあずかる領主、ラドクリフ伯爵家の城館が、シリィの住まいだった。青屋根の優美な館だ。
 古代王国時代には、ここには豪壮かつ堅固な要塞が築かれていたという。
 三百年前、古代王国の崩壊の後、その跡地に自らの住まいを構えることに決めた初代ラドクリフ伯は、しかし先人に習うことなく、自らの主義にしたがって、質素で脆弱な館を建造した。それから、ラドクリフ館は幾度もの修築増築を経たが、基本的なコンセプトは変らないまま、今にいたる。
 シリィの部屋は、その青屋根の館の二階にあった。
 部屋には、外の景色が見える窓は一つしかない。外壁に木枠を打っただけの、単純な窓で、片開きのよろい戸がついている。開口部の大きさは子供が出入りできるほどしかなく、その下端はシリィが背伸びをしても、首の高さまでしか下りてこない。
 彼女は椅子を踏み台にして、そこから、まだあどけない小さな顔をのぞかせ、焦がれるように、澄んだ青玉色の瞳に、遠くの森を映していた。
 日の沈む頃になって、シリィはやっと窓のよろい戸を閉めた。
 部屋は急に薄暗くなり、夜の最初の息吹が、戸の隙間からすっとおりて、彼女の頬をやさしく撫でた。
 クッションをひとつ、ベッドから拾い上げ、壁にもたれかかるように、ぺたんと床に腰を落とす。
「はぁ……」
 ため息が漏れた。
 シリィは明日、十歳の誕生日を迎えることになっていた。
 好奇心が自制心を凌駕し始める年頃である。彼女にとって、一日を、この館の中を歩き回るだけで終える現在の生活は、耐えがたい苦痛になっていた。
(外に出られたら、お話の中みたいに、冒険できるのに)
 シリィは、英雄たちの活躍を描いた物語を読むのが好きだった。
 空想の中の物語では、彼女は「旅の魔女」の役割を演じることができた。そして、ゴブリンに襲われた村を救うべく現れた勇敢な戦士を慕い、得意の魔法で彼を助け、ともに険に立ち向かうのだ。あるいは、古代の歌で悪鬼を鎮める「旅の吟遊詩人」でもいい。いや、たとえ「村の娘・その一」でもかまわない。
 とにかく、「お姫様」でさえなければ。
 物語の中でも、ただなすすべも無く悪者に攫われ、自分では何一つしないまま勇者に救われる「お姫様」が、シリィは大きらいだった。
 しかし現実の彼女の立場は、まがりなりにも「お姫様」なのだ。
 どんなに古代語魔法を一生懸命習得しても、英雄たちの物語を、本に穴があくほど読み込んでも、結局それは「たしなみ」でしかない。
 やんごとなき他家の公子と結婚するにせよ、父の門地を継ぐにせよ、あるいは、たとえ森林衛士となって一角獣を駆るにせよ、「ラドクリフ伯爵家のシリィ公女」という名につきまとう人生には、狭い貴族社会の中で、しきたりと政治力学で舗装された道を、定められたゴールに向って進むほかの未来の選択肢は用意されていない。
 十年の間に、彼女はそれをすっかり悟ってしまった。
 不満があるわけではない。だが、満足も無い。
 それを思うと、ため息のひとつふたつも、つきたくなるというものだった。
 ややあって、シリィは立ち上がり、短い呪文を唱えた。
 鏡台の前に置かれた、小さな陶器の人形の指先に、ぱっと閃光がはしったかとおもうと、それはすぐさま、周囲を照らす明かりになった。ごく初歩の魔法――明かりの魔法だ。
 魔法の照明は、部屋の隅々まで余さず照らし出す。
 古めかしいデザインのベッドと、あまり座りごこちの良くないカウチ。きちんと整理された書棚には、習い事の教本と趣味の読み物が、半々ぐらいのスペースを分け合い、収まっている。館の地下書庫には、シリィにはまだ理解不能なむずかしい本が大量にあったが、この部屋にあるのは彼女の私物だけだ。それでも二十冊以上ある。
 シリィは周囲の壁を見上げた。
 彼女の部屋の壁には、大小五枚の板絵がかかっていた。
 父に頼み込んで、城下に住む、あまり高名でもない画家の工房に制作してもらったもので、共通のモチーフは「冒険者」たちだ。
 その中でも、東壁にかかる一枚は大作だった。「リジャールの竜退治」の図で、近年最大の実際の英雄譚、オーファン王リジャールと、その仲間たちの悪竜との対決を描いたものだ。迫力のある構図だが、シリィには少し品が無いように思えた。
 その向かい側には、三枚の小品があり、それぞれ個性的な作品だった。いずれも冒険の一場面を切り取ったもので、それを眺めているだけで、シリィの想像力は遠く異郷の空へとかきたてられる。
 しかし彼女のいちばんのお気に入りは、最後の一枚、北壁にかかる、すっくと立った精悍な剣士の肖像画であった。
 ジルフィード・グラファイト。
 狂戦士の異名をとる無双の剣豪。生ける伝説として大陸にその名を轟かせる、実在の冒険者だ。
 あまたの冒険をくぐり抜けて勇名を馳せる、英雄の中の英雄。近年では各国から引く手あまた、東西数カ国の要職_職を兼ねており、このラムリアースでも、白蹄騎士団の臨時顧問官という職を受けていたはずだ。
 だが彼は、一国に長くとどまることは無く、いまだ流浪の剣客という印象が強い。旅の途中の町にふらりと立ち寄り、そこで新たな伝説を残していく。
 無敵の強さと謎めいた過去、その背後に見え隠れする影が、シリィは好きだった。
 五枚の絵、そして南壁の窓。
 この六つの「窓」から見える風景が、今のところ、彼女をはてしないため息の繰り返しから救ってくれる、ささやかな通気孔だった。
 寝巻に着替えたシリィは、剣士の肖像を見上げて、囁きかけるように呟いた。
「いよいよ明日、お会いできるのですね」

「城下に、あの剣士ジルフィードが来ているらしい」
 ラドクリフ伯、つまりシリィの父が、そのことを娘に知らせたのは、三日前の朝食の席でのことだった。
「まあ!」
 シリィは、はしたなくも上ずった声をあげた。向かいの席から母が視線でそれをとがめたので、彼女はすこし声の調子を落とした。
「それは本当ですか、お父様」
「聞いた話だ。――しかし真であれば、ぜひお招きせねばなるまい」
 ジルフィードが城下に来ているとなれば、伯爵も放って置くわけにはいかない。城下で何か重大な変事が起ころうとしているのかもしれないのである。
 館に招いて、用向きを問いただす必要があった。
「そういえば、シリィ」
 伯爵は思い出したように尋ねた。
「シリィはジルフィード卿の信奉者だったな」
「ええ、お父様。ヴァン・チェ殿にお願いした肖像も、部屋に飾ってあります」
 シリィは興奮ぎみの口調で答えた。父とは意味合いが異なるが、彼女としても、せっかく城下に来訪しているジルフィードを、放って置くわけにはいかない。
「そうだわ、お父様」
 シリィはすばらしい考えを閃いた。
「もうすぐ、わたしの誕生日です」
「覚えているよ。十歳になるのだったね」
「館にジル様をお招きするというのなら、私の誕生パーティに、ぜひご招待したいわ」
「ふむ」
 伯爵はやや渋い顔をつくった。
 城に招くにしても、理由が幼い公女の誕生会というのでは、いくらなんでも先方に対して失礼ではないだろうか?
「いけませんか?」
 シリィは心配そうに訊ねた。
「うむ」とうなずきかけた伯爵は、はたと思い直した。
「いや、それは案外、良い考えかもしれん」
 ジルフィードは気難しい男と聞く。ただ頭ごなしに呼びつけたとしても、むしろそちらの方が機嫌をそこねさせてしまうかもしれない。であれば、シリィの誕生会に招く、というソフトな名目の方が、かえって角が立たずに済むのではないか。
 そんな打算から、伯爵は決断した。
「冒険者の店に招待状を送っておこう。噂が本当ならば、おいでくださることだろう」

 宴はささやかながらも、席を囲む顔ぶれは城下の名士が揃っていた。
 シリィは父とともにテーブルを廻り、半ばおべっかとはいえ、自分の誕生祝の言葉をかけてくれる彼らに、半ば社交辞令の、丁寧にあいさつを返していた。
 しかし、内心はそれどころではない。
(ジルフィード様、いらっしゃらないのかしら)
 広間に用意されたテーブルの数はそれほど多いわけではない。全てをまわり終えても、それらしき人物は見当たらなかった。
 落胆しかけたとき、執事が声高に場内に告げた。
「ジルフィード・グラファイト卿、ただいまご到着です」
 シリィはぱっと顔色を明るくして、広間の出入り口を振り向いた。そこには、壮年の、頬傷のある、窮屈そうに礼装をまとった屈強な男が立っていた。
 彼は喝采に迎えられた。
 予想よりもいささか老け込んでいる感があったが、彼が剣士ジルフィードであるに違いない。彼がこの席に招かれている、という噂は、客たちの間にすでに広まっており、この場にいるもので彼の業績を知らない者はなかった。
 ジルフィードは入り口で一礼すると、目だけでさっと場内を眺め回し、目ざとくシリィを見つけた。彼はその場で軽く公女に会釈して、歩み寄ってきた。
「本日はお招きに預かり、恐悦至極。公女殿下に置かれましては、満十歳のお誕生日、まことにおめでとうございます」
「こ、こちらこそ……」
 目の前に伝説の英雄がいる。絵の中でしか見たことのない人が、一歩踏み出せばぶつかるところにいる。シリィは緊張のあまり、次の口がうまく回らなかった。
「お、お忙しい中おいでくださり、ありがとうございます……」
 シリィはおずおずと英雄に歩み寄って、手を差し出そうとした。
 その時、広間の出入り口が騒がしくなった。
 何事であろう。席を立って見に行くものまでいた。シリィは差し伸べかけていた手を止め、ジルフィードに申し訳なさそうに会釈して、騒ぎの中心に視線を移した。
(とんでもないことが起きたに違いないわ)
 父が、事の次第を確かめるべく執事に問いただす声が聞こえた。
「何事か」
「閣下……」
 執事は伯に駆け寄り、耳打ちして何かを告げた後、判断を仰ぐように、小声で「いかがいたしましょう」と言った。
 シリィは内容を聞き取れなかったが、父の表情が次第にこわばっていくのがはっきりわかった。
 伯爵は当惑したようすで、執事に命じた。
「わかった。まずお通しせよ」
「は、はあ」
 執事は入り口近くまで戻り、神妙な声で来客を告げた。
「ジルフィード・グラファイト卿、ただいまご到着です」