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    短編小説
      「Stage of the ground」
 
 

 先人が切り開いた道をそのままたどる者は、賢明であるかも知れないが、真の知者とはいえない。未踏の荒野に、あえて新たな道を切り開くことによってこそ、人は視野を広げ、ついには真の英知を得ることが出来るのであるから。
 その意味では、「冒険者」と呼ばれる者たちは常に、真の賢者たりえる資質を持つ。
 わたしこと、学徒シリィ・ラドクリフが、退屈な宮廷生活に区切りをつけ、ライナスの都で出会った仲間たち――ゲイル・ガルディアード、ライミー・ガルトらとともに冒険の旅をはじめたのは、三週間前のことであった。そしてその三週間で、それ以前の無為なる十数年間に得た以上の、経験と知識とを身につけることが出来たように思う。
 今、出発以来最大の岐路に立たされたわたしたちは、「あえて新たな道を切り開く」ことを選ぶことに――

 そこまで読み終えたところで、剣士ゲイル・ガルディアードは目を伏せて、テーブルに羊皮紙の束を置いた。その端整な細面には、渋い表情が浮かび、わずかに口もとが震えているように見えた。
 酒堡「海鳥」は、このロマール王国ではありふれた、二階に宿がとれるタイプの酒場である。あるいは、一階が酒場になっている宿、と言い換えてもいい。
 窓の外はもう日暮れ時をむかえている。
 酒気が充満しはじめたホールの片隅、壁際のテーブル席に、ゲイルたちは戎装を解いて着座し、先刻注文した酒肴の到着を待っていた。
「どうかしら、ゲイル」
 そう訊ねたのは、ゲイルの対面の席で、何かを期待するような眼差しで彼を見つめている、小柄な女性だった。羊皮紙に、先の文章を綴ったのは、彼女なのである。
「シリィお嬢様」
 ゲイルは少女をそう呼んだ。
 澄んだ青玉の瞳と、まだあどけない面差しを残す可憐な表情。巻き毛気味の、手入れの行き届いた蜂蜜色の長い髪。上等な布地の白いローブを身にまとい、最小限の装飾品を品よく身につけている。
 シリィ・ラドクリフは、黙って立っている限りにおいて、「お嬢様」の呼称にふさわしい容姿と品格、ついでに言えば出自とを備えていた。言動は知的であり、所作も隙がない。
 が、ゲイルが心中でひそかに「悪夢の三週間」と名づけたこの旅路は、彼をして、シリィをそう呼ぶことをためらわしむるに充分な理由となっていた。
 アレクラスト――「世界の中心」を意味する名をもつこの大陸において、大陸西方の肥沃な地域、俗に「中原」と呼び習わされる地方を、北から南へとほぼまっすぐに、ゲイルはシリィとともに旅してきた。
 三週間前、中原北辺の大国であるラムリアースの王都・ライナスを出発して以来、この南海に面する王国ロマールに至るまで、彼女が(多くの場合、過剰な義侠心から)巻き込まれなくてもいいトラブルに首を突っ込み、ゲイルや、もう一人の同行者であるライミー・ガルトが、その解決(悪く言えば「尻拭い」)に付き合わされたのは、二度や三度のことではなかった。
 ライナスの都での宝石盗難事件から始まって、ファンドリア国境では怪物の襲撃から辺境のさびれた村を守るために剣を揮い、レムリアの町では怪しげな研究を続ける賢者の要請で、マエリム森の遺跡の底から、わけのわからない彫像を拾ってこさせられ、さらには、ロマールまで荷馬車の護衛を引き受けて、ハルキア高原で山賊の襲撃に遭い……
 ここまで生き残ってこられたのも奇跡的だった、と彼は思っていた。世にいわゆる「お嬢様」というのは、少なくとも、山賊の根城を壊滅させに、自ら出向いたりはしないものではなかったか。
 だがこの時はあえて、ゲイルは彼女を「お嬢様」と呼んだ。
「お嬢様。いくつか、事実誤認を指摘してよろしいでしょうか」
「あら、何か間違いがあったかしら」
 ゲイルは頷いて、羊皮紙の天地をシリィが見る方向に合わせ、そこに連ねられた言葉の列を指で追った。
「……まず、ライミー殿はともかく、このゲイルは、『冒険者』などになった覚えはない、ということです」
 ゲイル自身、傭兵などという、あまりかたぎではない商売に身をやつしていた経歴を持つのであるが、それでも「冒険者」などと臆面もなく名乗る、まっとうな生業への就労意欲に欠けた食いづめのやくざ連中にくらべたら「まだまし」だと考えていた。
「私が傭兵をやめて、ラドクリフ家にお仕えしているのは、騎士見習いになるためであって、このたびの旅程も、お嬢様の護衛役であり、それ以上でも以下でもありません」
「かたいわねえ」
 シリィは、彼女の前に置かれていたレモネードを一口、音を立てずにすすった。
「そんなの、お話を面白くするための演出じゃないの」
 ゲイルは肩を震わせながら、テーブルの下で拳を固めた。
「何度も申し上げましたが――これは冒険旅行ではなく、オランの『賢者の学院』本部へのご留学の旅です。お嬢様がお書きにならねばならないのは報告書であって、三文冒険小説ではないのです。本来の目的を、お忘れにならぬよう」
 そう。それだからこそ、ゲイルはシリィの護衛をかって出たのだ。
「賢者の学院」は、俗に「魔術師ギルド」と呼ばれるように、世界に満ちる神秘の力を操る技、魔術を研究し、またそれを操る者たちの知識に関する、学究と研鑚のための国際組織である。
 かつてこの世界、フォーセリアのほとんどを、強大な魔力を制御する魔術師たちが支配し、魔力を持たぬ者たちを虐げていた。
 カストゥールという名で知られるこの古代王国はやがて、支配階級の慢心から、魔力の暴走と、魔法をつかえない奴隷民の反乱によって崩壊し、魔術の体系も、一時は完全に失われた。そして、剣の力であらたな時代の王となった者たちは、わずかに生き残った魔術師たちをも恐れて弾圧し、ついには根切りにしてしまった。
 これは仕方のない処置であったのだが、そのお陰で、文化的にはともかく、文明・技術の方面は大幅な退歩を余儀なくされた。
「賢者の学院」は、その魔術師たちの術法をある程度復活させ、それを操る者たちに、剣の時代にふさわしい地位を与えることで、人間文明の再生と進歩を促そう、という趣旨で設立された。アレクラスト大陸東方の大国、オランの王家がそれを支援し、その都に本部がおかれている。
 大陸西方、中原北部と呼ばれるあたりに、きわめて広大な版図を占めるラムリアース王国は、現在の世界で最も古い王家を頂く大国である。
 その王家は代々魔法の使い手であり、知勇の均衡を重んじる伝統と、長きにわたる比較的平穏な治世は、剣の時代における粛清の中で滅び去った古代王国の遺産を、ほんの一部とはいえ、完全な形で保存することを可能にしていた。
 西方における「学院」組織の本部がラムリアースに置かれたのも、そういう事情による。王家も積極的に「学院」を支援しており、宮廷社会での序列にも影響するため、ラムリアース貴族はこぞって、その子弟を学院に入門させる。
 シリィも、ラムリアース貴族の令嬢であった。それも、系図をたどれば王家にも連なるという名族の末裔である。もちろん彼女は、幼少から英才教育を受けた上で、王都ライナスの学院に入学し、優秀な成績を誇っていた。
「お嬢様は、ラドクリフ伯爵家と、ラムリアース王家の威信を背負って、学院の本部に特待生として留学なさる身なのですから。わが王国の、すべての魔術師の期待を……」
「『わが王国』って、あなたオーファンの生まれでしょ」
 シリィは無碍に、ゲイルの話の腰を折った。オーファンは、ラムリアースの南にある新興国である。
「そういう言い方は、ちゃんと騎士になってから言いなさいね」
「その道を半ば塞いでいるのは、どこの誰ですか?」
 ゲイルは、ラドクリフ伯爵――シリィの父親――から、この護衛任務を果たし終えた暁には、伯爵家の騎士として、王室直属の「白蹄騎士団」に推挙することを約束されていた。だが当のシリィがこの調子では、栄達の道も先がおぼつかないというものだ。
「――とにかく、遊び半分のおつもりであれば、私は同行いたしかねます」
「あら、職務放棄?」
「お嬢様にそっくりお返ししますよ、その言葉」
 苛立ちを隠しきれず、ゲイルはまた肩をこまかく震わせた。
「わたしがオランに行くのは職務じゃないわよ」
 シリィは、ゲイルの心中を知ってか知らずか――おそらく前者であることをゲイルはほぼ確信していたが――しれっとした顔でそう言った。
「お父様たちが何を言ってたか知りませんけど、わたしはわたしのために、留学するんです。王家のためでも、伯爵家のためでもなく。もちろん、その結果として、ご協力いただいた方々に利益が行き渡ることはあるかもしれないけど、それが目的というのでは、本末転倒でしょう」
「……わかりました。その件についてはまたいずれ、時間をとってじっくりとお話いたしましょう」
 ゲイルは深く吐息した。
 今だって充分、無駄な時間をとったじゃないの、とシリィは言いたげな様子だったが、また説教が続くのは嫌なので、それを口には出さない。
 ゲイルはふたたび、シリィの原稿の上に目を戻した。
「――それで、ここにある『新たなる道』というのは、やはり海路を往かれるということなのでしょうか?」
「そうよ」
 シリィはうんざりした表情のままで答えた。この件については、五日前から、二人の間で意見が分かれている。
 彼女たちが現在逗留しているロマールという王国から、学院本部のあるオランまでは、人の手で整えられた陸上の交易路がつながっている。これは「自由人たちの街道」と呼ばれる、大陸を東西に貫く長大な街道の一部であった。
 しかしシリィは、この古くからの通商路を通ることに反対した。
「ゲイルだって、ラヴェルナちゃんの報告書は見たんでしょう?」
 オーファンの若き天才賢者、「魔女」ラヴェルナは、シリィたちが旅立つ少し前、大陸の全域を廻る長い見聞の旅の途上から、中原に報告書を送ってきた。
 その報告書は後に『アレクラストの博物誌』としてまとめられ、多くの写本が出回ることになるのだが、シリィたちはその草稿とも言えるものを、ライナスの「学院」で閲覧していたのであった。
「いまザインを通るのは危険よ」
 というシリィの主張には根拠があった。
 ロマールとオランの間、エア湖のほとりにあるザイン王国は、現在、王位継承権をめぐる内戦の渦中にあり、また魔術師に対する偏見がいまだ根強い。くだんのラヴェルナはザインで理不尽な拘束に遭い、命を落としかけたという。またそのせいで、旅の予定を大幅に狂わせられることにもなってしまった。
 その二の徹を、シリィが踏まねばならない道理はない。
「それに、海路をとれば最短二十日でエレミアの港につくわ。ザインの山道を、何の障害もなく歩いていけたとしても、一月はかかってしまうでしょ」
「だからといって!――ドゥーデント半島の南部には、寄港できるような人間の港は皆無なんですよ?『嵐の海』を無事に渡りきれる保証は……」
 という、ゲイルの主張にも一理ある。
 ロマールの南は海岸に面しており、海道を東にたどり行けば、ザインを通らずオランまで往ける。しかし、まっすぐというわけには行かない。ザインの南には、ドゥーデントという巨大な半島が海へと突き出しており、ロマールからオランへの航路は、それがために、一旦南に大きく半島を回りこまなければならないのである。
 ドゥーデント半島は、その面積の大半を険阻な山岳地帯が占めている。人間の文明圏が及んでおらず、また「巨人の聖域」という異名の通り、古代種族ジャイアント――人間に数倍する大きさを持つ巨人族たちが闊歩する、危険地帯でもあった。
 また、海のほうにも問題がある。「ストラムーア(嵐)の海」と呼ばれる南の海は、邪神とされる、封印された海の神が眠る領域であって、その名の通り、頻繁に強烈な時化にさらされる。沿岸をたどるならともかく、沖合いに出ざるをえない航路では、相当の危険を覚悟しなければならなかった。
 だがシリィは、考えを曲げようとはしなかった。
「危険なのは、どっちの道でも同じでしょ。なら、ラヴェルナが通らなかった道を通るのが、冒険者たるものの決断だと思うわ」
「ですから、私は冒険者になった覚えはありません」
 ゲイルはあくまでそう主張した。
「冒険者など、単なる遺跡あらしです」
 かつての傭兵仲間には、「冒険者」に付き合わされて古代王国の遺跡に潜ったり、人外異形の怪物たちを相手にまわして剣を揮うはめに陥った者たちがいて、彼らは口を揃えて「冒険者には関わるな」と忠告してくれた。
 そして、今は実感を伴って、彼らの意見に賛同していた。
「お嬢様も、あんな連中の真似事をなさるのは、もうおやめください」
「じゃあゲイルだけ、いまからロマールに戻りなさいよ。ここはもうフェルダーなんですからね」
 シリィは口をつんと尖らせた。
 ロマールの王都から南方へ五日ほど歩いたところにある、海に面した町フェルダーは、軍民両用の大きな港を有している。
 出入りしているのは主として、西部諸国との交易を目的とする商船だったが、ザイン内戦の勃発以来、東方に向かう船も増えた。
「あたしはライミーと船に乗るわ。まあ、見た目、彼の方が頼りになりそうよね」
 シリィのもう一人のお供、ライミー・ガルトは、ライナスを出発するときに雇った剣士である。
 本人の口から聞いたところでは、かつてこのロマールで剣闘士として活躍していたそうで、なにかやましい事でもあるのか、あまりこの国に長居したくないらしい。彼は海路をとる案に、もろ手をあげて賛成し、今は一足先に港へ行って、オランに向かう船を探してくれているはずだった。
「……またそうやって、私の敵愾心を煽ろうとする」
 羊皮紙を両手で束ね、テーブルの上で整えながら、ゲイルは言った。
「ライミー殿だって、いいかげん気づいてますよ、お嬢様の正体に」
「『正体』ってなによぅ。人を妖怪変化みたいに」
「ほほう、『世間知らずの清楚可憐なお嬢様』が、化けの皮でないとおっしゃる」
 ゲイルは、ライナス郊外にあるラドクリフ家の別宅で、はじめてシリィに出会ったときのことを忘れていない。そのときには、本当に「深窓の令嬢」という形容がぴったりの、上流階級のお嬢様のように思われたものだった。
 今となっては「だまされた」の一言に尽きる。
「それはゲイルが勝手に抱いたイメージでしょ。わたしは――」
 シリィは、運ばれてきた塩豆を一粒つまんで、行儀悪く小さな口に放り入れた。
「わたしはずっと素直に、自分に正直に生きてるわ」
 ゲイルはやりきれない表情で肩を落とした。シリィがもはや翻意しないことを悟ったのである。
 そして、彼自身は、シリィについていくしか道がない、ということも。