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      「ストロボの空」

 灼熱の帯を裂いて、黒馬が駆けてゆく。
 ミラルゴ馬の特色である艶やかな毛並みは、森の木々をなめて燃え盛る、燦爛たる炎に照らし出されて、ときおり銀色の輝きを放った。
 その鞍上には、悍馬の強靭な体躯とは不釣合いな、小柄な娘の姿があった。
 あまりにもか細いその両腕は、手綱の端にしがみつくだけで精一杯のように見える。革の組紐で編まれた手綱は、炎熱で焼き切られて短くなっているというのに、それを命綱のように握り締めていた。
 そう。ただ、たてがみに顔をうずめるように、馬の背の上で、顔をうつむけに伏せている。ほとんど前を見ていない。ただ馬のひたすら馳せるに任せている。
 樹齢百年にも至ろうかという、広く枝を張ったトネリコの大木が、たった今彼女の通り過ぎた場所で、轟音をあげて爆ぜ、真二つに割れた。
 猛烈な熱風が、少女の長い髪を舞い上げ、その先端を白く焦がす。
(森が、燃える)
 彼女は、呪詛めいた低い声でそうつぶやいた。
 その目には、群れ集い、猛り狂う炎竜サラマンダーたちの破壊的な饗宴が映っている。
 サラマンダー。
 このうつし世を形作る、地・水・火・風の四大精霊の一、火の精霊。
 交えられた剣の狭間に散った火花、ろうそくの炎、かまどの火、およそ火気のあるところ必ず、サラマンダーは存在する。
 もっとも、彼女と同じ「精霊使い」の素質を持ったものにしか、彼らの姿は見えない。
 それだけではない。
 サラマンダーたちが取り囲む中央では、神々しいばかりに白熱した体躯をもつ巨人―― 炎の精霊の主・イフリートが、炎竜たちにいやます破壊力で、森の木々を右へ、左へなぎ倒し、白い灰に変えていった。
(ダークエルフめッ!)
 少女の小さな声は、怒りを含んだうめきに変わった。
 黒馬はさらに馳せ続けている。
 森の妖精エルフ族の集落がある、この森の焼き討ちを企て、実行するに至ったのは、エルフと敵対する、闇の妖精族ダークエルフの一党であった。
 世界の秩序と安寧とを尊重し、自然とともに生きることを選んだ光の側のエルフたちと、暗黒神に与し、混沌と戦乱とをもたらすべく、理不尽な悪を為すダークエルフたちとの、数千年にわたる対立。
 少女がいま目の当たりにしているのは、その中に散った、小さな火花、この大陸において、幾度となく繰り返されてきた悲劇の典型にすぎない。
 だが、彼女の胸に去来するのは、自分の短い半生の、さらにまた半分に相当する時間を過ごしてきた、この故郷の森での、二度と繰り返されることのない、きわめて個人的な思い出だった。
 静かな風景。
 自然崇拝者ドルイドの一族と、エルフたちと手を携えて守り抜いてきた森。
 木々のざわめき、暖かな木漏れ日、水辺を吹く心地よい風。
「守護者」と呼ばれたドルイドの両親たち、エルフの友人たち。
 あこがれていた人、それに嫌いだった人。
 季節の流れに従う、穏やかな暮らしのいっさい。
 そのすべては、渦巻く炎の奔流に飲み込まれた。
 少女は我知らず、嗚咽と絶叫の入り混じった声を夜空に響かせた。
 怨嗟と、悲しみと、そして何よりも「恐怖」。
 徐々に心を塗りつぶしてゆく、それらの暗い感情が、やがてかすかに残されていた意識と理性をも、闇の淵へと引きずり込んでいった。
 乗り手が次第に正気を失うのにも構わず、忠実な愛馬は燎原を駆けつづけた。
 森の出口で、少女は無意識に、一度だけ後ろを振り返った。
 美しかった森は――彼女のただひとつの「世界」は、天を焦がす一塊のまっしろな輝きへと昇華し、死んでいった。
 彼女はたった一人になった。

***

 小さな交易船の、物置にハンモックをぶら下げただけの粗末な船室から出て、狭くるしい急な階段をのぼり詰め、甲板にあがると、濃い潮の香りが、つんとバーンの鼻をついた。
「フォス港が見えますよ、師匠」
 まだ見ぬ異境の地への好奇心を抑えきれず、バーンは舷側の手すりから身を乗り出さんばかりになった。体格はすでに大人にひけを取らないが、精神的には、まだ無邪気な部分が残っている。
 フォスの街は、草原の国と呼ばれるミラルゴ王国の海の玄関口である。
 果てなく草原の続くミラルゴの国土の東限は、切り立った断崖で海と区切られている。フォスはその断崖の一角を裂いて、マジャセ河が海へと注ぐ、その河口洲に建設された街であった。
 沖の小島とフォス岬に囲まれた、波の穏やかな天然の良港であり、元は海賊の拠点だった、とも言われる。が、もはや昔年の面影はなく、きれいに整備された港湾関係の施設と、赤レンガ造りの富豪の商館が立ち並ぶ、このあたりでは最大の通商拠点となっていた。
「綺麗な街だなあ。叙階式を蹴って来た甲斐がありましたよ」
 バーンは、あまり似合っていない、ファリス教会の修道士の旅装を身につけていた。
 もとは真っ白な綿地の装束だったようだが、旅にくたびれて、黄味がかかっている。その上から羽織ったマントが、潮風にひるがえり、ばさばさとうるさく音を立てていた。
 もちろん、首からは、至高神ファリスの聖印がぶら下がっている。
 この世界・フォーセリアに威をしろしめす五柱の大神の筆頭、正義と秩序の神ファリスは、この東の果てに至っても信徒が多い。船の中でも、十六歳の修道士に過ぎないバーンに対し、同乗した客の多くが不相応なまでの敬意をはらってくれるほどだ。
「イリオン卿は、嘆いておろうな」
 一足遅れてバーンの隣に立った彼の師は、落ち着いた口調でそう言った。
「何度でも言うが、折角、神の声が聞こえたというのに、神官位を受けないのはもったいない。気が変ったら、今すぐファーズに引き返してもよいのだぞ?」
 初老の域に、達しているかいないか、という、いかめしい面構えの男である。バーンとはちょうど親子ほどの年の差があるのだが、持ち前の長身と、怠らぬ修練によって鍛え上げられた肉体が、実際よりもやや若い印象を、見るものに与えていた。
「司教には、悪いことをしたと思ってます」
 バーンは神妙な面持ちでそう答えた。
 彼はこのミラルゴ行きに先立って、ファリス教団の総本山である、神聖王国アノスの都ファーズで、他の何人かの修道士とともに、正式な神官位を叙階される予定だった。だが、時期はずれの豪雨のため、式典が順延となり、ミラルゴ行きの船の出発と重なってしまったのである。
 バーンは式典を欠席し、船に乗ることを選んだ。
「でも、教会の偉い人から叙階されずとも、僕はファリスの神官です。旅を続けることの方が、正しいことに思えた。それだけですよ」
 フォーセリアにおいて、聖職者の地位は、人間の権威的な制度によって保証されるのではなく、ただ「神の声」を受け入れる才覚を持っているかどうかによって決まる。それでも、形式や儀礼が他の教団よりも制度化されているファリス教団には、神の声ではなく教会の権威によって神官位を授けられた者も、実際のところ少なくない。
 バーンはもともと、そうしたファリス教会の形式主義が、あまり好きなほうではなかった。
「それに、いまはお仕着せの儀式を覚えるよりも、ファリスの正義を実現するために、やらなくてはならないことがあります」
「これか?」
 師は、自らの腰に佩いた長剣の柄頭を叩いて見せた。
「はい」
 バーンは肯定した。
 師の剣は、見るからに使い込まれたものだった。
 柄に巻かれた滑り止めの革は白く擦り切れ、鞘の縁もところどころ欠けている。五箇所に打たれた目釘だけが新品で、そのうち二箇所は、なにか呪術的な装飾が施されていた。
「剣の道は、奥が深い。僕はまだ、ジルフィード・グラファイトの剣をすべて極めたわけではありません」
 バーンの師ジルフィードは、剣客として大陸中に名をしられた男であった。
 彼ははじめアノスの騎士であったが、ほかの譜代騎士家との不和から起きたトラブルを理由に改易され、流浪の身となった。その剣技は旅のうちにもなお磨かれ、今や、いわゆる「東方五剣」の筆頭にあげられるまでになっている。
 まだバーンが子どもの頃、西方のとある町で、旅の途中だったジルフィードと出会った。それ以来、二人は師弟として、修行の旅を共にするようになった。
 バーンがジルフィードに師事を請うのは、何よりもまず剣技についてなのだ。
「だが、儂についてくるばかりが、修行ではないぞ、バーン」
 ジルフィードは、穏やかだが厳しい口調で、若い弟子をたしなめた。
「離れてみなければ、見えないものもある。こたびは、その良い機会だと思ったのだが」
「まだまだ、師匠から学ぶべきことはありますよ」
 バーンは、自分の腰の剣に手をやった。彼の剣は、真新しいが特徴のない、ありふれた数打ち物で、実戦で使用された回数も少ないようだった。
「師匠の剣技、その真髄を教えていただくまでは、離れるわけにはまいりません」
「それを言うておるのだ」
 師――ジルフィードは長いため息をついた。バーンはその様子を見て、首をかしげた。
 ジルフィードは剣の鯉口を切り、わずかに剣身を鞘から露出させて、そこに映る自らの顔影を見つめながら言った。
「ジルフィードの剣は、このジルフィード一人のもの。バーンには、バーンの剣が要るのだよ――守破離、という言葉を知っているか、バーン」
 そう訊ねられたバーンは、首を横に振った。
「『守』とはすなわち、型を守ること。剣の道は、まず師の型を真似て、それを守ることにはじまる。基礎かためるということだ。基礎が身についたなら、実際の戦局にあわせ、型をあえて破り、勝つ道を見きわめる術を求めるようにする。これが『破』、すなわち型を破ることだ。そして最後には『離』、すなわち、師の教えから完全に離れ、己の剣を見出す時が来る――バーン、お前は未熟者だが、儂の姿を追って得られるものは、もはや少ない。これからは、自らの剣を探るときだ。誰のものでもない、バーンの剣を」
「……よくわかりません」
「じきに、わかるようになる。そのためにも、いつか巣立たねばならん」
 会話をしている間に、船は、澪つくしに沿って入港し、ほどなく桟橋に繋留された。
 船の上から見るよりも、港湾区域は広い敷地を占めていた。
 いくつかの長い桟橋には、それぞれ数十艘の小型舟艇と、数隻の中型以上の船舶が繋留されていた。多くは商船や漁船だが、中には軍艦もある。ミラルゴには水軍が無く、フォスの有力者の私設艦隊と、同盟国である北の海洋国家ムディールの軍艦が多い。
 そのなかでも、ひときわ目を引いたのが、北桟橋の一角を占有している、三本マストの巨大な帆船だ。
「このあたりで帆船は珍しいですね――大きいな」
 桟橋に降り立ったバーンは、立ち止まって、件の大型船を見上げるようにして感嘆した。文化的・技術的な差異で、アレクラスト大陸の南岸や、西方の国々では帆船が主流になりつつあったが、東方、北方の国々では、多数の櫂をムカデの足のように両舷側に突き出した、「ガレー」と呼ばれる櫂船を用いるのが通例だった。バーンが乗ってきた船も、帆と櫂を併用するタイプの、一種のガレーである。
 だが、北桟橋の巨船は、前後に高い船楼を備え、六本の帆桁に五枚の横帆と一枚の縦帆が張れるようになっている、本格的な外洋帆船であった。
「あれは、エレミアの軍艦のようだな」
 師は目を細めて、マストに掲げられた旗を確かめた。
 エレミアは、大陸の南岸、中央部の東よりにある王国で、その王都は海に面している。「方形の横帆や船尾の縦舵は、ベルダインやオランの技術を積極的に取り入れたものだろう。しかしその上で、独自の洗練が加えられている」
「大きさも、他の船の倍以上ありますよ」
「エレミアの職人は腕がいい。船大工もその例に漏れず、ということだ――それにしても、不穏だな」
「なにがですか?」
 不思議そうにバーンが訊ねたので、師はにやりと笑った。
「エレミアの船が、ミラルゴの港に来ることの意味を考えてみよ、バーン。ロドーリルの南進を阻むために、その背後を扼すべく、ミラルゴとの同盟を強化するのが、今回の使節の目的であろう」
「ロドーリル……あの軍事大国ですか?」
「かの国が、大陸制覇をもくろんで南進しつつあることは、お前も知っておろう。オランとエレミアは、背後からロドーリルを牽制し、あわよくば、列国同盟による包囲網を完成させるつもりでいる。中立的立場のミラルゴ王国が、旗色を鮮明にすれば、態度を決めかねているバイカルやムディールほかの中小国も、オランの側につくだろうからな」
 大陸東方の国々は、お世辞にも、互いに密接な友好関係を築いてきたとはいいがたい。王家同士の血縁関係も薄い。それでも、この百年来、国境線を変えるような大戦は行われてこなかった。
 オラン王国は、おそらくフォーセリア最大の版図と人口を有する、歴史ある大国である。比較的強力な王権と、精強な騎士団を持ち、アレクラスト東方の世界において、近隣諸国の盟主として君臨してきた。オランと境を接するエレミア王国や神聖王国アノスも、オランと友好関係にある。
 だが、この一強皆弱の連衡のもとに維持されてきた、かりそめの平和は、ロドーリルの台頭によって破られることになった。
 ロドーリル帝国は、不毛な辺境の小国からわずかの期間に、東方の覇権を争うまでに拡大した軍事国家である。近隣の国々を傘下におさめた後、大陸制覇のための当然の戦略として、南のかたオランに矛先を向け、現在はその途上、城塞都市プリシスとの、長期戦攻城戦を展開していた。
 大陸東方の勢力図はいまや、オランとロドーリルの二大国による、微妙な軍事的均衡状態を呈している。
 南進策をとった結果として、ロドーリルは、ミラルゴやムディール、バイカルといった北岸・東岸の国々に背後をさらす形となる。地理的な制約もあって、これらの国々がロドーリル本国を直接的に攻撃することは困難だが、不可能ではないかぎり、ロドーリルにも戦略上の不安は残っている。
 他方、オランにしても、東西の隣国であるエレミア・アノスとの友好関係は強いものの、極東や北方の諸国との縁は、おせじにも深いものとはいえない。
「エレミア艦の派遣は、ミラルゴがオラン側の国であることをロドーリルに示すための示威行動だというのですね?」
「『三方の敵、相対すべからず』といってな。いかなる達人であっても、三方向から包囲されれば、必ずいずれか一方に隙を見せざるを得なくなる。これは戦略のレベルでも同じことだ。ミラルゴの騎士団は、決して精強とはいえないが、機動力は高い。いざとなれば東からプリシスを急襲し、ロドーリル軍の側面を衝くこともできよう。少なくとも、その可能性があることを、この使節派遣でロドーリル側にアピールすることができる。さらには、バイカルやムディールに後背を脅かされては、ロドーリルとておいそれとは動けまい」
「外交は冷たい戦争、戦争は熱い外交、ですか」
「そういうことだ」
「師匠は、それを見届けに来た、というわけですね?」
「まあ、それもある。が……」
 師は即答せず、何か思いをめぐらすように目を閉じ、そのままむっすり押し黙った。