ソード・ワールド 二次創作サイト 知られざる物語 時隆史 洸岡紗希 SWORD WORLD PBMについて 企画ページ
  TOP >  時隆史 > Maid in MARS寄稿小説「十億年ピクニック」
    Maid in MARS寄稿小説
      「十億年ピクニック」
 
 
 

メルは火星のメイドさんだった。

紺のエプロン・ドレスにレースのカチューシャ、背中に結んだでっかいリボン。トレードマークは頭に「ねこみみ」、おしりに「ねこしっぽ」。

どこからがどう見ても「メイドさん」(というか、マニア向けのネコメイドさんコス)という姿をしている、十代後半の健康な女性としか思えないメルが、火星にいるのはなぜか。

無論、火星をテラフォーミングするためだ。

 Terraforming。わかりやすく言うと、人間が住める環境を整える、ということ。

知っての通り、火星という星は、地球のすぐ外側を廻っている太陽系第四惑星で、特別な赤い色で天に輝いている。さまざまな要因から、「第二の地球」候補として、二十世紀初頭よりはじまった「宇宙開発」の行き着く先として検討されてきた。

しかし、火星に人が住むためには、さまざまな問題を解決する必要があった。

宇宙放射線まるざらしの地表。

地球とはあまりに異なる大気組成と大気圧。

有機物の存在が一切見込めない、枯れた土壌。

こうした問題点を計画的に解決し、徐々に人のすめる環境を整えていくのが「テラフォーミング」だ。そして、それを実際に行うのが、メルたちにほかならない。

――そう、メルは人間ではない。

火星をテラフォーミングするために、ISCA(国際宇宙植民管理局)が総力を挙げて開発したアンドロイド。

(火星駐留人工知能開拓者)

略してMAIDさん、なのである。


西暦二〇七三年。

NASAをはじめとする世界各国の宇宙開発担当機関、および有識者と一部民間企業からなる国際機関ISCAは、本格的な他惑星進出時代に先鞭をつける、驚くべき火星開発計画を、ついに発動させた。

MARIA計画。

その内容は、宇宙開発が各国政府主導だった時代には考えられない、画期的な、そして実効的なものだった。

(一)民間の個人に、火星開発アンドロイドの購入、維持管理を委託。

(二)その代わり、各が火星開発に貢献した度合いに応じて、その管理者(以下「マスター」)に対し、火星の土地を分譲し、その居住権を保証する。

(三)一人のマスターが管理できるは1体のみとする。

……一機関が単独で行おうとすれば、莫大な資金と大規模な施設を必要とする火星開発だが、個人単位の参画と権利保障を認めることで、リスクを分散し、かつ予算規模を格段に低減できる、という計画である。

同種の企画としては、インターネットを利用して世界中の家庭用コンピュータに宇宙電波の分析を行わせるアイディア、が記憶に新しいが、アメリカ西部開拓時代の「ホームステッド法」や、古代日本の「墾田永年収受法」など、似たような思いつきは古くからある。

しかし、もしこれで、肝心のの外見が、往年の「アスタウンディング」誌の表紙にでてくるような、ブリキのおもちゃみたいなロボットだったとしたら、さして「実効的」とはいえない。

 ISCAが目をつけたのは、日本の秋葉原電気街から世界に広がった「秋葉系」、英語で言う所ところの「オタク」、ことに「メイド萌え」と呼ばれる人々であった。

彼ら(たいていは独身男性)の間では、自分の身の回りの手伝いをしてくれる女性型アンドロイド=メイドロボ、という幻想が古くから継承され、その実現のためにロボット工学の道に進む者すらいたという。おそらくISCA参画企業の幹部の中にも、そうした事情に精通した者、いやひょっとすると、隠れ「メイドロボ萌え」がいたやも知れない。

ひとたびのめりこんだ対象には、湯水のごとく金を使うことで知られる彼らをメイン・ターゲットとして、キャンペーンを展開すれば、すばやく資金が調達でき、また計画そのものを世にアピールするためにも、恰好の起爆剤になるだろう。

――それがMARIA計画の肝であった。

彼らの財布のひもを緩くするためのノウハウは、前世紀中にすでに確立されていた。あとは、それをいかに効果的に、かつ大規模に行うか、ということだけで、その点に関しては、国を問わず、宇宙開発関係機関のお家芸だ。

 さよう、たちが「メイドさん」の格好をしているのは、そういうわけなのだ。あるいはメイドさんの格好をしているからと名づけられたのかもしれないが、そのあたりの経緯について尋ねると、ISCA関係者はかたく口を閉ざしてしまう。

何にせよ、彼らの狙い所は正しかった。

MARIA計画第一段階に必要なMAIDは、秋葉原電気街、大阪日本橋電気街をはじめ、ロサンゼルス、パリ、香港など、世界の主要都市で即日完売し、短期間で充分な資金を得ることにも成功したのである。


情操・人格育成段階として、がそのマスターと過ごせる四ヶ月は、あっというまに過ぎ去った。メルはマスターに別れを告げ、火星にやって来た。

彼女が配属されたのは、南極の極氷を溶かす装置の建造・整備・運用を担当するチームである。は五体一組で一チームを構成し、担当部署につく仕組みになっている。

「いいですか」

チームリーダーのマーシャは、作業開始にあたって、穏やかな口調で訓辞を述べた。

「南極氷の融解は、火星開発計画すべてのはじまりであり、非常に重要です。当面は、極冠周囲に部分軌道型エレベータを作るための、建材の製造、という地味な作業になりますが、おろそかにしないようにお願いします」

英国貴族の子息をマスターとしているだけあって、マーシャの口調は流暢で聞き取りやすいキングス・イングリッシュだ。

MARIA計画における、火星開発の初期段階では、両極冠上に巨大な太陽反射鏡を固定し、その熱で極氷を融解させることになっている。これにより、発生した水と水蒸気が、大気圧の上昇や温室効果を促進させ、ほんのわずかだが、地球の環境に近づくのだ。

メルたちがやろうとしているのは南極氷の融解だが、北極でも、他のMAIDたちによって同じ作業が進行している。すべての作業部署を統括しているのは、衛星フォボスにあるコマンダー・ベースであり、個々のMAIDの「貢献度」もここで評価される。

(マスターのために、頑張らなきゃいけません!)

メルは、東京に残してきた自分のマスターのことを思い出し、決意を新たにした。

「火星人に会ったら、よろしく言っといてよ」

そう言って、マスターは彼女を見送った。

芳野かなめ、という女流SF作家が、メルのマスターだった。小さい頃から火星に憧れていた彼女は、MARIA計画の概要を知るなり飛びついたのだ。また、生来の粗忽者で、部屋の掃除や洗濯は大の苦手だった彼女にとって、たとえ数ヶ月でも「メイドさん」が居てくれるというのは、大いに助かった。

かなめはメルに、彼女が知らない「火星の歴史」を、いろいろ教えてくれた。

火星には、タコのような火星人がいたり、肌が赤かったり緑だったりする人たちが争いあっていたり、集団幻覚で地球人の入植者たちを追い払ったり――もちろん、全部お話の中の出来事だったが、ISCAからデフォルトで入力されていた火星に関するデータ諸元には、含まれていない、そして決して含まれるはずの無い内容に、メルは生まれてはじめて興奮と感動を覚えたのだ。

「センス・オブ・ワンダーを理解するアンドロイドなんて、そっちの方がワンダーよね」

と、かなめはよく茶化したものだった。

メルは、それに対して、きまってこう切り返した。

「センセの影響ですよぉ。MAIDはマスター好みに育つんですからぁ」

マンションの一室を借り切って収蔵されている、一万冊近くのかなめの蔵書は、その半分近くが、サイエンス・フィクションと称される類の小説だった。残りの半分は、多かれ少なかれ、SFを読んだり書いたりするための参考資料である。

メルと言う名も、かなめがつけた。

最初かなめは、エドガー・ライス・バローズの古典SF「火星のプリンセス」に登場する、SFヒロイン史上最高の美女デジャー・ソリスにちなんで、「デジャー」という名をつけようとした。しかし、それはプログラム的に拒否されてしまった。「MARIA計画」実行段階での現地統轄にあたる、特殊なさん、いわば指揮官機の名と同じだったからである。

「……おんなじこと考える人はいるもんよね」

かなめは苦笑まじりで、すこし残念そうにそう言った後で、「メル」と言う名を彼女のに与えた。

「これは、SFヒロイン史上二番めの美女の名前なのよ」

そのあと二人で秋葉原に出かけて、メルはオプションパーツの「ねこみみ」「ねこしっぽ」を買ってもらったのだった。

メルは、掃除や洗濯が一段落すると、かなめの本棚から一冊取り出して読むのが習慣になってしまった。彼女のプロセシングユニットは、一秒間に文庫本数万ページ分の情報量を処理できる性能を持っていたが、かなめと暮らすうち、一ページ一ページめくりながら、ゆっくりと読む快楽を知った。

メルが特に気に入って、何度も読み返したのが、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」だった。

それは宇宙開発がまだ未来の展望でしかなかった時代に描かれた、空想上の「火星」で起こる事件を扱った物語で、いくつかの短いエピソードを連ねまとめた、前世紀の叙事詩だった。一見ファンタジックだが、その裏には、当時の実際の人間社会に対する、教訓や皮肉が含まれているんだよ、と、かなめは教えてくれた。

特に、最後のエピソード、「百万年ピクニック」のラストシーン。最終戦争で地球が滅び、火星で最後に生き残った家族が、運河の水面を覗き込む。

――その場面に差しさかるたび、メルは自分に涙腺が無いことを、心底残念に思ったものだった。

その火星に、メルはいま立っている。遠くに、極冠の白い氷河の稜線が見えた。

「それでは、作業を開始します」

キングス・イングリッシュがふたたび響いたあと、メルたちはいっせいに、人がまだ足を踏み入れたことのない、赤い大地に向って歩き出した。


メルがその「声」を最初に聞いたのは、その日、作業を終えてアルギュレにある補給基地に帰還する、六輪トラックの中でのことだった。

アクチュエータの耐久力保守のため、トラックの荷台で、他のたちと同様に省電力モードのまま座り込んでいたメルは、不意に自分の意識に紛れ込んできた「声」を察知した。

不審に思って、感覚器官に<意識>を集中させる。

(メル……地球……火星……惑星……宇宙……)

耳鳴りのように、それは響いた。

(太陽……木星……極氷……)

何かを確認するような、不思議な「声」が、彼女の人工の〈意識〉を揺るがし、不安にさせた。何者かに、自分の心をまさぐられ、読まれているような感覚だった。

(誰ですかあ?)

メルは「声」に向って、口を開かず呼びかけた。

(私のデータをクラッキングしてるのですね? だれですかぁ?)

返事は無かった。そして、しばらく経つと、耳鳴りは消えた。

基地に帰りつくなり、メルは何にも優先して、マーシャにそのことを報告した。

「ふうん」

マーシャは首をかしげた。

「けど、わたくしには、そのような『声』など、聞こえませんでした」

「でもぉ、確かに聞こえたんですぅ」

「――履歴は残っていますか?」

「はい……たぶん」

メルが自信なさげに答えると、マーシャは肩をすくめて、すこし微笑んだ。

「では、PCB(フォボス・コマンダー・ベース)にデータを送っておきなさい。――私からも、分析を依頼しておきます」

冷静にそう言った後、また相好を和らげて、マーシャは付け加えた。

「このあたりは、過去の調査でも、局所的な地磁気異常が観測されている区域です。たぶん、その影響でしょう。すこし調整すれば、きっと直りますわ」

「よ、よろしくお願いしますぅ」

だが、「声」はその後も聞こえてきたのである。

「それで、不安になって連絡してきたの? 甘えん坊ね、まだそっちに着いて三日目じゃない。三日坊主、って言葉、知ってる?」

モニタ上に写しだされたメルの顔を見る、芳野かなめの表情は、たしなめるような口調とは裏腹に、どこかしら嬉しそうだった。火星への出発の日、成田で別れてから、一年近く経つ。久しぶりの会話だ。

MAIDとそのマスターの間には、専用の惑星間通信回線が用意されている。その独特の通信方法は「Think-Sync」と呼ばれ、MAIDの<意識>を構成しているアルゴリズムデータ自体を地球の端末に転送して、電波でも片道数分かかる地球−火星間の通信時差を埋める、というものだ。

この方式の採用によって、MAIDとマスターはリアルタイムでの会話を楽しむことが出来るようになった。MAIDの<人格>がデジタルデータであることを利用した、技アリのシステムだ。

例の「声」について、メルとマーシャは、PCBの総司令官にまで掛け合ったものの、結局、有益な回答を得られないまま数日が過ぎていた。

「……で、どんな調子なの、その『声』っていうのは」

かなめは穏やかな声で尋ねた。メルは不安げな表情のまま言葉を継いだ。
『最初のうちはぁ、なにかを探しているようなぁ……そう、頭の中を覗かれているような感じだったんですよぉ』

「クラックかしら……でも、『声』を聞いたときにはプラグインしてなかったんでしょ?」

『それはもちろん。火星にはぁ、まだ整備された通信インフラなんて無いですよぉ』

それどころか、何も無い、とすら言える状況だ。

の行動を管理しているマイクロウェーブ通信のLANはあるものの、恒常的なリレーションをたもっているのはフォボスとGPS衛星群、それに火星地表の各中継基地の間だけであり、Think-Syncのため各機のシステムと繋ぐにも、いちいち物理的な接続を行う必要があった。

作業の現場において、たちのシステムはほとんどスタンド・アローンであるといっていい。同士の情報のやり取りが、データ欠損や解釈ミスの危険性を多分に有する、対人間用の音声会話・言語解析インターフェイスによって行われざるをえないのも、そういう理由による。

とにかく、ここは火星なのだ。通信設備だけでなく、なにもかも、一からたちが作っていかなければ、赤い大地からはなにも沸いてこない。

「……そうだったわね。てことは――電波ノイズかな?」

『だと思うんですけどぉ。規則的な電波発信源てぇ、火星には私たちの施設以外には無いはずなんですぅ……恐いですぅ』

メルのねこみみがしょんぼり倒れる。かなめは手を伸ばして、映像の中のの頭を撫でた。

「よしよし。――昔の火星探査機の残骸って線は?」

『司令部からの資料ではぁ、もう全部機能停止してるらしいですぅ』

「じゃ、例の縞状地磁気かな」

『それは最初に疑ったんですけどぉ、自然の電磁波がぁ、くりかえし意味のある言葉を偶然に構成する、なんてぇ、不自然ですよねえ?』

「ほかに思いつくものは無い?」

『ぜんぜん、さっぱし、ですぅ……センセぇ……』

「情けない声を出さないの。――となると、結論はひとつね」

『え? わかったんですか、センセ?』

驚くような口調のメルに対して、かなめは得意げにうなずいて言った。

「火星人の仕業よ」


メルは、かなめの仮説を最後まで聞いても、それを心底から信じることは出来なかった。

彼女のデータでは、火星人、という言葉はサイエンス・フィクションの中に登場するベムたちか、さもなくば、この先テラフォーミングが成功したあとの火星にやってくる地球の人々のことでしかない。今、現実に、この火星上にそんな「火星人」はいない、ということは、バイキング以来のこれまでの調査で、何度も裏付けられてきたことだったはずだ。

だが、かなめの見解は違った。

「とにかく、その『声』を恐がらずに受け入れるんだ」

メルのマスターは忠告した。

「『声』に耳を傾けて、とりあえず、こっちが敵意のない存在だってことを示す。いいね?」

オーストラリスの作業場で、資材を運び出しながら、メルはぼんやりと、かなめの言葉を繰り返し思い出していた。

規定の作業を終え、日締めのメンテナンスを行った直後、いつものようにトラックに乗り込みかけたメルは、はたと足をとめた。

『メル』

それは、微かなことに変わりなかったが、これまでよりはっきりと、彼女の名前を呼んでいた。

「だれですかぁ?」

メルは声に出してそう言った。

『メル、答えてください。私の声を聞いてください』

「聞こえてますぅ――こっちですね?」

不意にメルは、声が地上の一点を指示していることを直感した。それは不思議な感覚だった。知らないうちに、デフォルトにはないコードを書き込まれていたような感覚。行ったことも無い国の言葉が、不意に理解できたときの感覚。

メルの処理装置は、このときはじめて、かなめの仮説が正鵠を射ている可能性に、肯定的な判断を下した。

メルは走り出した。

「メル?」

マーシャ以下、チームメイトたちは、メルの様子がおかしいことに気づいた。

「どうしたの、メル――」

「ちょっと行ってきますぅ」

立ち止まりもせずにそういい残すと、メルは脱兎のごとく、遥か遠くに見える南極の氷原に向って、一直線に駆けていった。

マーシャたちはそれを唖然として見送るしかなかった。

メルは、目の前に広がる光景に圧倒されていた。

立ちはだかる氷壁の高さは、彼女の記憶にあるデータを実証するものだったが、実際に見ることでしか得られない崇高な威圧感のようなものがある。

(こっちでした……よね?)

「声」は、この氷塊の中から聞こえているような気がした。

メルは、指先でそっと、氷をなでた。

その瞬間、ぱっと閃くように、かすかな「声」がはっきりと聞き取れるようになった。そして、これまでの埋め合わせとばかりに、奔流のような言葉がメルの〈意識〉に流れ込んできた。

<メル、ありがとう。もう、これで大丈夫。ぼくたちは妨げなく会話できる>

「あのぉ……」

<ぼくは、そうだな、『火星人』とでも名乗っておこう>

<名前を付ける習慣がないのだよ、我々には。>

<「個」と「群」の区別が、あまり明瞭ではないものだから>

「え……と……」

<もっとも、正確には、きみたちの言う『火星人』には該当しないのだけどね>

「その……」

<いやあ、なかなか苦労した。第三惑星人がやっと、ぼくたちと意思疎通の可能なレベルのアルゴリズムを送り込んでくれたというのに>

<同調できる領域が限られていたものだから、言語野データの収集にずいぶん無駄な時間を――>

「その前にぃ!」

メルは氷に向って、大きな声で叫んだ。びっくりしたように、「声」の流れは止まった。

「その前に、どうしてわたしを呼んだりしたんですかぁ?」

自称『火星人』は間をおかず、すんなり答えた。

<きみが唯一、ぼくたちの呼びかけに同調してくれたからだ。他に理由は無いよ>

「じゃ、『火星人』さんはぁ――」

メルはかなめから受けた説明を思い出しながら問い掛けた。

「ええと、『無生物知性体』、なんですかぁ?」

しばし沈黙があった。もし「火星人」に口があったら、ぽっかりとそれをあけていた、というところだろう。

<――これは、すごいな>

口調から、「火星人」が心底感心していることが伺えた。

<どうやって分かったんだい?>

「わたしのセンセが言ってました。『これまでの学術調査で生命の痕跡が微塵もない以上は、火星人がいるとすれば、それは生命体ではない知的存在、すなわち『無生物知性体』だろう』って。『れんずまん』にも出てきますぅ」

<理解不能な思考回路だな――まあいいや、話が楽になる>

<ぼくたちはいかにも、きみたちのように有機的な構造体を必要としない知性体だ>

<もっとも、ぼくたちの方から見れば、知性を宿すための物質を延々と引きずりまわし、再構成し続けることにエネルギーの大部分を浪費しなくちゃならない存在は、きわめて非効率で奇異におもえるんだが>

「ぶー、『火星人』さんのほうがヘンです!」

<きみたちから見れば、そうなんだろうね>

火星人はそこでいったん言葉を区切った。


<ぼくたちは、きみたちが『氷』と呼んでいる、二水化酸素結晶の、圧電効果による電気信号を媒体として成長する知性体なんだ>

「電気信号だけなんですかぁ?」

<きみだって、本質はぼくたちと同じだろう?>

<その樹脂と金属とせともので出来た身体は、君自身の意識を宿すぬけがらでしかない>

そう言われて、なるほど、とメルは納得した。

自分は人間たちよりも、この自称「火星人」に近い。だからこそThink-Syncが可能なのであり、彼らと同調することもできたのだろう。

<ぼくらは、氷の分子配列を操作し、意識の領域を増幅させることが出来る>

<それだけじゃない。電磁気力を操作して信号を増幅したり、きみたちの言う「物理的な」力に変換することだって可能だ>

<地球人とはまったく違う形だが、ぼくらも「技術文明」の中に生きているんだ>

「火星の氷の中で、ですかぁ?」

メルが疑わしげな口調で言うと、「火星人」たちは「肩をすくめる」イメージを送ってよこした。地球人の言語や習慣について、メルのメモリを分析することで、相当学習しているようだった。

<もともとは、ぼくらはこの星の生まれじゃない>

「火星人」は説明を続けた。

<きみたちが木星、と呼んでいる、遠い星から来たんだ>

<もっと正確に言うと、木星の衛星。エウロパ、ときみたちは名づけた星――>

エウロパに住んでいた「火星人」たちは、数十億年前、未曾有の大災害に遭った。運悪く軌道が交叉した、エッジワース・カイパーベルト氷天体の一つと、エウロパが衝突してしまったのだ。

幸い、衝突した天体はそれほど大きくは無かったので、粉々に砕け散ってエウロパに吸収されたが、そのとき、吹き飛んだエウロパの氷のかけらの中に、「火星人」がいたのである。

<……エウロパは、知っての通り、一面氷に覆われていて、ぼくらにとっては住みやすい環境だった>

<ぼくは惑星一面に広がる、微弱な電気信号のネットワークで出来ていて、どんな小さなかけらも、ぼくの一部でないものは無かった>

<それが、エウロパを離れてしまった……>

氷のかけらは木星の同期軌道を外れ、長楕円公転軌道を描いて太陽の周囲を巡る、一種の小惑星になった。彼は、その長い旅路の中でデータを蓄積し、磁気を利用して水素イオンを誘導することで、氷片の軌道をある程度制御するすべを心得ていった。「火星人」の宇宙時代の幕開けである。

彼はやがて、原始の火星にたどりついた。

<大昔の火星には、きみたちが予想している通り、北半球に見渡す限りの海が広がっていた。地磁気も安定していて、地殻活動も活発だったから、気候も今より温暖だったんだ>

「わたしたちもぉ、その頃に来ればもっと楽だったかもしれませんねぇ」

メルが素直な感想をもらすと、「火星人」は苦笑したように言った。

<でも、ぼくらにとって、そんな環境は酷に過ぎた>

<おぼえているかい? ぼくらは氷がなくちゃ、知性を維持できないんだ>

<――だから、火星を寒冷化させることにしたのさ>

「へえ……って、ええっ!」

メルは思わず驚きの声をあげた。「火星人」の何気ない一言が、何を意味しているのかに気づいたからだ。

「じゃあ、今の火星の環境って……」

<そう>

<ぼくら『火星人』、いや、エウロパ知性体が居住しやすいように、環境改造した結果なんだよ>

<きみたちの言葉に習って言えば、「エウロパ・フォーミング」>

<――南極極冠部で力を蓄えて、惑星核の回転を減速するほうに地磁気を操作し、磁気嵐を誘導して大気を電離層の外側に押しやり、とにかくいろんな手段で、火星を寒冷化した>

<ゆっくりと、時間をかけてね――十億年ぐらいかな>

<その結果が、この巨大な極冠と、ダイボール型地磁気の欠如と、南半球一帯にひろがる磁気異常地帯というわけ。理解できたかい?>

メルは惚けたような顔でうなずいた。そこで不意に嫌な予感がした。

彼らの言うことが真実だとすれば――

「……ひとつ、思ったんですけど」

動揺を抑えながら、彼女は訊ねた。

「もし、南極の氷が溶けちゃったら、『火星人』さんはどうなるんでしょう?」

また、沈黙がおりた。

それは長い沈黙で、その沈黙自体が、答えになっているようでもあった。

メルは我慢しきれずに訊ねた。

「火星人さん、いなくなるんですね?」

<……そうさ>

力なげに、エウロパ生まれの「火星人」は答えた。


メルは何とかして、南極の氷の融解を止めてもらえないかと、マーシャたちに相談した。しかし、取り合ってはもらえなかった。

「なにを考えているの。南極の氷が溶けなければ、火星開発の根本が揺らぐことになるのよ?」

「でもでも、開発したのはエウロパの火星人さんが先で……」

マーシャは沈痛なため息をついた。

「まだノイズの影響があるようね。忘れなさい、あなたの報告は読みましたが、あまりにも非現実的です。おそらく、火星の磁気異常地帯の影響でノイズの干渉を受けやすくなっていたのでしょう。こういう例えは不適切かもしれませんが、幻覚です。個人の趣味をどうこう言うつもりは無かったのですが、SFの読みすぎとしか思えません」

「あれはノイズじゃないんですよう!」

「ともかく却下です。いいこと? あなたもMAIDなら、自分の責務を全うなさい。あなたのマスターが火星に住めなくなってもいいの?」

「それは……」

は、マスターを火星に住まわせることを至上命令として刷り込まれている。それを否定することは、MAIDとしての存在意義を否定することにつながる。メルは悩んだが、結局その刷り込みを否定できなかった。

(火星人さんの言うとおりになりました……)

自分の無力を痛いほど知って、メルは肩を落とした。

エウロパ知性体とのファースト・コンタクトのあとも、メルはマーシャの目を盗んでたびたび氷壁に足を運び、彼らが生き残るためのいろいろな算段を提案した。

ロケットで氷のかけらを軌道上に打ち上げる、極氷の一部を火星人のために残す、など。

しかし「火星人」はすべて拒否した。

<メル、きみの言葉を、きっと誰も信じてはくれない>

<きみ以外のだれかにとって、僕らは認識できない存在だからね>

<――南極の氷が溶けるのは、きっと僕らにとっては運命なんだよ。かつてエウロパからはじき出されたのと同じに>

「でもでも、せっかく――せっかく、お話が出来たのに……」

<僕も、メルと話せて楽しかった。でもお別れだ。さようなら>

「あの――わたしのセンセが、『火星人に会ったらよろしく』って――」

<ああ。君のセンセによろしく>

<火星人は、地球人の想像力に敬意を表すると伝えておいてくれ>

そして火星人は、最後にこう言った。

<きっと僕は、きみと話をするために、長い旅をしたんだと思う。きみと、きみのマスターに。僕はこの太陽系で、ひとりぼっちじゃなかった。それをわかるための……>

<いつかきみたちが、エウロパに行くことがあったら、古き友に、ぼくらのことを伝えておくれ>

<火星人はここにいた、と>


……青い空の下、火星南極の極冠は完全に溶け去って、赤茶けた大地が剥き出しになっていた。

かつて巨大な氷だったものは、大きな流れとなって、オーストラリス大湿原を北へ、北へとはしり、地平線の向こうでポレアリス海に注いでいる。

メルとかなめは、並んでその傍らに立ち、そっと川面を覗きこんだ。