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      「夜明けのオクターブ」
 
 
 

 森の中での生が自分の全てであった頃、私にはそれが「退屈」だと感じることさえも出来なかった。
 きっと、このジェダン・ダントゥールのみが例外なのではない。ほとんどのエルフにとって、森の閉ざされた氏族社会の中で、緩慢な時の流れを生きることは、幸福でありこそすれ、不満や軽蔑や嫌悪の感情を伴うものではない。
 だが、――これもきっと、私だけではあるまい――あるきっかけによって、森の外の世界を垣間みたエルフにとっては、それが新たなる世界認識の扉となる。
 森の幸福が退屈な時間の浪費にすぎず、積極的な知的所産の獲得行為が、真に「生きる」ことの喜びと幸福とをもたらすことを知る。
 私の場合、そのきっかけは、二人の人間の少女だった。

 私はそのとき、十五歳ぐらいだったと思う。正確な年齢を数えるのは、もう何十年か前にやめたのだが、少なくとも百年以上前、ということになるだろうか。
 アントゥール氏族の隠れ里は、マエリムの森深くにあり、この森に住まう幾多の氏族の中で、特に大きくも小さくもない規模で、エルフらしい森の暮らしを営んできた。
 外の世界との接点といえば、たまに訪れるケンタウロス賢者による、「この世の知識」を垂れ流すばかりの講義と、さらにまれな来訪者である、人間のドルイド僧による旅の土産話ぐらいのものだった。
 人間というものを、そうした話の中でしか知らなかったその頃の私は、短命で粗野なこの種族に対して、根拠のない優越感を抱いていた。
 その朝、ルイルの泉に出かけたのは、特別な用事があったからではなくて、単に私が一家の水を汲み出す当番だったからに過ぎない。七人の兄弟姉妹がいる私の直系家族では、九日に一度必ず巡ってくる、ありふれた一日のはじまり方でしかなかった。
 エルフ氏族の集落は、惣領(族長)と長老たちを中心にして、直系核家族ごとに庵をかまえ、一家を営む。アントゥール氏族を構成するのは、惣領の一家のほかに十二家族、それに他姓の郎党が数十人で、惣領はケイン・ダントゥール。最長老はマイア・ド・ラントゥールといった。
 他の家族からも、この時間帯には水汲み当番がルイルに集まってくるのだが、もともとがルーズな時間感覚のなかで生きるエルフだから、鉢合わせになることはめったにない。たまに出会っても、会釈を交わし天気の良し悪しを語る程度が関の山で、後に知った人間たちの「井戸端会議」のような光景は、この森では展開されないのが普通だった。
 だがその日は様子が違った。私より先にきていた何人かの水汲み当番が、泉のほとりの一箇所に集まって、なにやら話し込んでいたのだ。
 私も興味をそそられ、そちらに歩み寄って、騒動の中心を覗き込んだ。
「人間だ」
 と、私が覗き込んだすぐ横で、誰かが説明した。見れば解ることを、ことさらにもったいぶって説明したがる者は、エルフの中にもいる。私はうなずいて、
「それは解る」
 と一言返した。
 ふたりの少女が、泉のほとりにある若木の陰で、ちいさな身を寄せ合って眠っていた。
 年齢は十歳ほど。この頃までの成長の仕方は、人間でもエルフでもさして違わない。人間の服装のことは良く知らなかったが、しっかりした縫製の綿地の装束を身につけていた。ふたりとも靴を脱いで枕の代わりにし、泉の水で洗ったらしい綺麗な素足が、指先まで見えていた。
「どこから迷い込んだのだろうか」
「迷路の魔法で、集落の入り口は塞いであったはずだが」
「敵対種族の手先かもしれん」
「ダークエルフ? 小さな女の子だぞ」
「いや。わからん」
「人間にしか見えないが」
「ドルイドの娘だろうか」
 口々に、かってな憶測や推測を述べ立てて、アントゥールのエルフたちは騒然となっていた。私はその集団の中で、おそらく最も若いエルフだったが、非礼を承知で先達たちの論議に割って入った。
「ここで衆議を決したところで、何の解決にもなりません。長老たちと惣領に、まず報告すべきではないか?」
 若造の生意気な意見、と思われたのだろう、何人かのエルフは露骨に嫌悪感を表情に表して私を睨んだ。だが他のエルフの大半は、私の意見に賛同した。
「ジェダンの言うとおりだ」
「ケインとマイアに、この子達のことを報告しよう」
「この子達は連れて行くか?」
「まだ寝てる」
「敵か味方かわからぬものを……」
「まだそんなことを」
 エルフの論議好きを、天性の知の探究者にふさわしい態度と捉えるか、無益な屁理??臧?芻I屈屋となじるか。いずれも正しい。盾の両面というものだ。ある選択によって何か価値あるものを得たのなら、その代償はかならず、たとえ気づかなくとも、どこかで支払っている。 ともかく、そこからまた長々と意見の交換が続いた挙句、皆で報告に行く間私が、眠れる少女たちの番をすることで決着がついた。(私の直系家族のための、一日分の水を満たした水がめは、隣家の当番がかわりに運んでくれることになった。)
 私と、ふたりの少女だけが、ルイルのほとりにとり残された。
 純粋に知的な興味から、私は少女たちの眠る姿を、仔細に観察した。
 人間は「エルフの耳が伸びている」とよく言うが、エルフの感覚では「人間の耳は途中で切れている」ような印象を受ける。だがそれ以外には、同年代のエルフの少女と異なるものはないように、そのときは思われた。
 やがて、少女の一人が目を覚ました。
 それまで閉じられていたまぶたが、ぱっちりと開かれたとき、私はえもいわれぬ衝撃でわが身を貫かれたような錯覚を覚えた。
 黒く、大きな、丸い瞳。
 エルフは、総じて切れ長の目と色の薄い瞳を持っている。また、相手の目を見て会話する習慣も無かった。この少女がしたように、はっきりとした視線でまっすぐ見つめられた経験は、それまでの私にはなかったのだ。
 目を覚ました少女は、身をもたげて私をみとめると、すこし驚いた表情で、何か言葉を口にした。今考えると、それは人間の言葉で「おはよう」と言ったのだろう。しかし私はどういう態度をとっていいのかわからず、とりあえずエルフ語で
「お目覚めか」
 と声をかけた。
 少女は不安そうな表情になって、
「お目覚めか?」
 と私の口にした言葉を、つたない発音で繰り返した。
(言葉が通じないのか)
 私はすこし考えて、顔の脇の髪を両手で持ち上げ、耳先を指差しながら
「エルフ」
 と言い、それから口を指差して
「言葉」
 と言った。
 少女は聡明だった。私の意図をすぐに理解し、
「エルフ、言葉」
 と繰り返してから、首を横に振った。幸いにしてこの仕草は、エルフと人間に共通の、否定を示すジェスチュアであった。
 私は同じように首を横に振ってから
「できない」
 と言った。少女はすぐに、
「エルフ、言葉、できない」
 と答え、さらに私を指差して(それはエルフの社会ではひどく無礼な仕草なのだが)
「言葉、できない?」
 と尋ねた。
「人間の言葉はできない」
 私は、今度は完全なエルフ語でそう言った。少女はやや考え込んだが、ほどなく理解して、自分を指差して
「人間、エルフの言葉はできない」
 と応じた。
 少し妙だが、エルフ語として必ずしも間違っていない、といえるところまで、少なくともこのフレーズに関しては、彼女は習得することができたことになる。
 それからしばらくの間、私と少女の間で言葉をめぐる思考の格闘が繰り広げられた。
「できない」という単語が「できる」という単語の否定的要素であることを理解させることからはじまり、私のほうもいくつかの簡単な人間の言葉(今思えば、それは西方語と呼ばれている、人間の世界の一地方語だったのだが)を習得しつつ、お互いの名前を名乗りあうところまでたどりついた。
「ジェダン」
 と、すっかり流暢になったエルフ語の発音法で、少女は私の名を呼んだ。そして自分を指差して、
「シオ」
 と言った。
「シオ」
 私は繰り返してから、少女――シオというのが彼女の名であることは、もはや疑いようがなかった――を指差した。
 シオはうなずいて、となりに眠るもう一人の少女を指し示しながら言った。
「サーナ」
「シオと、サーナ」
 私は何度か、ふたりの名を口の中で転がすように呟き、それから尋ねた。
「シオは、サーナの何?」
「シオは、サーナの……上の娘」
 シオは困ったように、そう言った。ふたりの間柄は親子のようには見えないし、第一、子どもを生める年齢ではないことは解ったので、私はすぐさまシオの言いたいことを理解した。そして地面に簡単な系図を書き、両親の記号とその子どもの記号を指しながら、
「これは、これの娘」
 そして、兄弟姉妹の位置にある二つの記号を指しながら、
「これは、これの姉妹」
 と、説明した。私が何度かそれを繰り返すと、シオは納得がいったように大きくうなずき、
「シオは、サーナの姉妹。上の姉妹」
 ??臧?芻Iと訂正した。
 そのとき、自分の名を呼ばれたことに気づいたのだろうか、サーナが目を覚ました。
 彼女のまぶたの下にも、姉とそっくりの黒い瞳が隠れていた。きょろきょろとあたりを見渡して、私と自分の姉とが会話しているらしいことを認めると、不思議そうに首をかしげた。
 シオは寝ぼけまなこの妹に、矢継ぎ早に、私のことと今の状況を説明した。説明したらしかった、としか、本来ならばいえないところだろうか。会話の中に時たま、エルフ、とかジェダンという言葉が混じるのが聞き取れたのは確実だ。
 それから、シオは妹に、私が先刻から説明し続けてきたエルフ語の一部を教え込もうとしているようだった。
 私が少女たちとのコミュニケーションを開始してから、ゆうに二時間が経過しても、他のエルフたちが戻ってくる様子はない。長老と惣領の決定は、なかなかおりなかった。
 その間私たちは、はじまったばかりの意思疎通を成熟させるべく、お互いに努力した。
「シオとサーナは、人間の王国タラントからこれの森に行く」とシオ。
「タラント王国から、この森に来た」とサーナ。
「サーナが正しい」と私。
 サーナは得意満面で、姉に笑いかけた。シオのほうは口をつぐみ、頬を膨らせる。
 私が訂正を入れる箇所も、だいぶ少なくてすむようになっていた。特に発音に関しては、ふたりともセンスがよく、一言喋るたびに上達していく。私の西方語はといえば、それほど上達しなかったし、そのあと百年ですっかり忘れてしまった。
 タラント王国について、当時の私にも、聞き伝えの知識が多少あったが、それはせいぜい「王国」という人間の社会形態を示す言葉の、付加的な情報として知っていた、という程度のものだった。ファン、モラーナ、ラムリアースといった当時の人間の諸王国が、エルフの領域に対して不当な侵入を試みつつあり、エルフののんびりした社会の中でも、なおざりには出来ない問題として顕在化していた。
 この少女たちがタラントからやってきたとして、そうした人間たちの尖兵であるとは、しかし私にはとうてい思えなかった。全てを敵味方に分けたがる人間式の二元論は、エルフにとっては奇妙な論理としか思えない。
 まあ、人間に対して不当な偏見を抱く「人間嫌い」のエルフも、いることにはいるのだが、言ってみれば彼らが最も人間的思考に毒されているエルフなのだ。
 森の敵はエルフの敵だが、森はまた、全てを許容する偉大な存在でもあるのだから。

 氏族の若者たちに引き連れられて、ケイン惣領と長老がその場にやって来たのは、日が中天を過ぎる頃だった。集落でも喧喧諤諤の論議が繰り広げられたことは想像に難くない。私が一人残っていることなど、きっとだれも気に止めていなかったのに違いなかった。
 そのおかげで、私はシオとサーナとの「会話」を楽しむことができたわけだが。
「この子達か」
 ケインは彫りの深い表情をさらに渋くゆがめた。
「ドルイド以外の人間など、ここ二百年の間来た事がなかったが、さて」
「迷路の術を抜けてきたとなると、おそらくアレじゃろうな」
 長老の一人がそう言うと、他の長老たちも同意した。
「アレ、とは?」ケインが尋ねた。
「ケイン坊は覚えておらぬか」最長老のマイアは、惣領に優しい眼差しを送った。
「森の中心にある『禁忌の領域』じゃ」
 マイアは「年経たエルフ」たちのなかでも最も高齢で、アントゥール氏族十三家全ての祖である者の、二番目の配偶者だった。人間の中には、エルフは死ぬときまで若いままだという幻想を抱いている者も少なくないが、人間よりも緩慢なだけで、確実に老化は起こる。マイアは、人間でいえば七十歳程度に相当し、それなりに老け込んでいた。
 腰はまだ曲がっていなかったが、長い距離の歩行には、他のエルフの支えが必要なほどだった。彼女にとってみれば、三百歳の壮年エルフである惣領すら「坊や」でしかないのだろう。
「なるほど」
 ケインは得心がいったようだった。
「あの、人間の遺跡ですな」
「人間の遺跡? あんな森の奥に……」
 他のエルフたちの大半は、それを知らなかった様子だった。
 マイアは彼らの無知を憐れむように肩をすくめ、説明した。
「三百年以上前、いや、四百年だったかもしれんが、人間たちがカストゥールと呼んだ王国の民が、エルフの領域を深くまで侵犯したことがあった。そのときに建てられた砦が、遺跡となって残っている。われらマエリムのエルフ全氏族は、協力してその遺跡の領域に隠蔽の魔法をかけ、禁忌の領域として、誰も侵入できぬようにした。もっとも、どこかの悪ガ??臧?芻Iキは……」
「そこから先は結構だ、ババさま」
 おそらく、そこ悪ガキとやらがケインのことなのだろう。そして禁忌を破ったのにちがいない。ばつが悪くなった彼は、最長老の話をさえぎった。
「しかし、大昔に遺跡になった建物から、なぜ人が?」
「あの遺跡には、『移送の門』があるのじゃ」
「移送の門……」
 今でこそ、私は「移送の門」について、詳細に知っている。冒険者にとっては、ほとんど常識といっていいほど、有名な古代の魔法装置だ。離れた二ヶ所に設置された「門」の、一方を通ると、他方に出てゆく。どれほど遠くに離れていても、門自体に付与された魔法が消失しない限り、この機能は保たれる。先日もレックスの南で、他の大陸に通じている「門」が発掘されたのは記憶に新しい。
 だが当時、私を含め、その場にいたほとんどのエルフたちが「移送の門」について何も知らなかった。マイアはため息をついた。
「知らぬか。――まあよい、ともかく。この人間たちが外の世界から森に迷い込んだのだとしたら、それは禁忌の領域から来たということじゃ。隠蔽の魔法が弱くなっているのかもしれぬ。ルイルにいたのも縁。アントゥール氏族が、どうにかせねばなるまいな」
「どうにか、とは?」
 こう尋ねたのは私だった。わずかとはいえ言葉を交し合った、この少女たちの処分がどうなるのか、不安だったのだ。
「帰してやる、ということさ」
 マイアは私の懸念を察したように、微笑んでそう言った。
「とはいえ、人間の世界は広い。せめてどこから来たのかだけでもわかればな」
「それならば、わかります」
 私は、あとで考えれば愚かなことだったが、得意満面でそう言った。
「彼女たちはタラントから来た、と言っていました」
「言っていた?」
 マイアはわずかに顔色を変え、そう訊き返した。他のエルフたちも怪訝な表情になって、私と少女たちを交互に見た。
 そこで、一人の若いエルフが尋ねてきた。
「言葉がわからないのではないのか?」
 そのときだ。
「シオはエルフの言葉ができる。少し」
 少女、シオの口から、流暢なエルフ語が流れ出した。
 一瞬、その場の全てのエルフたちは言葉を失った。人間がエルフの言葉を話す場面に、初めて遭遇した瞬間の当惑がそうさせたのだ。
「すごく、少し」
 きょとんとした表情で、シオは遠慮がちにそう付け加えた。
 静まり返った彼らが、やがて口々に驚愕や賛嘆の言葉をもらしはじめ、静寂がざわめきに変わるのに、さして時間はかからなかった。
「ジェダンが教えたのか?」
「あのわずかな時間で」
「人間がわれわれの言葉を話した!」
「子どもなのに」
 その中で、長老連中だけが、普段は柔和な表情を固くして、私を憐れむように見据えていた。私はそれに気づくと、浮かれ気味に微笑んでいた表情をあらためた。
「長老、何か?」
 長老たちはお互いに顔を見合わせ、うなずきあってから、マイアが口を開いた。
「ジェダン。お前が、その人間の少女たちに、エルフの言葉を教えたのだね?」
「はい」
 と、私は正直に答えた。
「間違いないか?」
 マイアはさらにそう質した。そこで私は、どうやら詰問されているらしいことを察したのだが、いまさら言い訳をしても仕方がないと考えて、
「はい」
 と、もう一度答えた。
「皆が戻ってくるまで、私が少女たちを見ているように、ということになりましたので。彼女たちは眠っていましたが、そのうちに目覚め、私とは互いに言葉が通じないことを知りました。そこでさまざまな方法で会話を試みるうち、少女たち――シオとサーナの姉妹は、いくつかのエルフの言葉を、私から習得したのです」
「お前が一人で話すのを聞いて、まねしたのかい?」
「いいえ、幾つかの言葉は、私が積極的に教えたのです」
「なんということだ」
 そこでマイアは、深く息をついた。そしてそのあとに、彼女の口から出た言葉は、私にとって予想外のものだった。
「それは、ジェダン、禁忌なのだ」

 禁忌――エルフの閉鎖的な社会には、多くの旧態依然とした因習的な行動様式が残っているが、そのうちのいくつかは、非論理的で根拠のない禁止事項として、エルフの行動を規制していた。言葉の禁忌は、その一つだった。
 いわく、「エルフ語は精霊のささやきを祖として持つ、世界の天然自然の力を反映した、力ある言語である。ゆえに、みだりにその語法を乱したり、新しい言葉を作ったりしてはならないし、一部であっても、文字や文様によって??臧?芻Iエルフ語を表し伝えたり、他の種族に系統立てて教え込んだりしてはならない。」
 なんと愚かな禁忌だろうか。「世界の天然自然」なるものの本質を、エルフの社会が失って幾星霜。そもそも、こんな禁忌を口伝しなければ維持できない共同体が、自然な群れであろうはずもなく、またあらゆる「言語」の体系が、天然自然であったためしはない。
 人間の中には、エルフの生活を極端に神聖視し、「自然回帰」やら「文明の害毒を受けていない聖域」などとほざく、自称・知識人もいる。だが、エルフは森の自然のシステムを意識的に破壊しない限りにおいて、多分に文明的なのであり、その文明の根底にはエルフ語と氏族社会の構造があるのだ。
 人間の文明とは構造基盤の差異があるだけであって、決して、「人間が回帰すべき理想郷」としてエルフの共同体があるわけではないことを、ここで力説しておこう。
 そして私はその日のうちに、エルフの社会を維持するために機能している、そんな言語体系の一部に抵触したかどで、一家から隔離されて、集落のはずれの物置小屋に閉じ込められた。
 これは、禁忌を犯したものへの懲罰としては軽いほうに属した。小屋には鍵もかけられず、見張りもいない。ただ「惣領の許しあるまで出ることまかりならず」と言い置かれたに過ぎない。人間社会の禁固刑のような、贖罪のための刑罰ではなく、どちらかといえば、悪ふざけした子どもを土蔵に放り込んで反省を強いる、といったイメージに近いだろう。実際、私は当時、集落では子ども扱いされていたのだ。
 しかし、掟によってそういう状態に置かれた以上、私はとが人として、惣領と長老を除く、一族の誰とも接触することが出来なくなった。これは想像以上に気のめいる刑罰で、日が落ちる頃には、土間の隅に巣食う蜘蛛にまで話し掛ける始末だった。
 だから、その夜半にノックの音が聞こえたとき、私は意外に早く許しが得られたものだ、と驚喜した。草木も眠る深夜ではあったが、少なくとも、翌日まではここにいなければならないだろう、と覚悟していたのだ。
 しかし、ノックの後に続いて聞こえてきたのは、ケインやマイアの声ではなかった。
「ジェダン、シオがエルフの言葉をできる、正しくない?」
「シオか」
 私はややがっかりしてそう言った。
「サーナとシオ!」
 名前を呼ばれなかったサーナが、急いで自己主張した。姉妹で連れだって、村はずれまできてくれたらしい。ほぼ丸一日、社会から疎外されていた私は、ともかくまともな会話の相手が出来たことが嬉しかった。
 二人はマイアの庵にしばらく預けられることに決まっていたが、マイアが眠った頃を見計らって、ふたりで示し合わせて抜け出してきたのだろう。
 彼女たちを森の外に、故郷に帰す、という点については、しばらく保留された。もちろんそれは、私がエルフ語を教えたせいにほかならない。長老たちは、人間の世界にエルフ語が広まる可能性を、過大に問題視していたのだ。
 それを思うと、私はふたりに対して、どうにもすまない気持ちになった。
「シオとサーナがエルフの言葉をできるのは正しい、悪くない、よいことだ」
 私ははっきりと、ゆっくりと言った。
「正しくないのは、ジェダンがエルフの言葉をシオとサーナに教えたことだ」
「『教えたこと』、何?」
 その語彙は、ふたりはまだ習得していないはずだった。
「ジェダンがエルフの言葉をできて、シオとサーナができないので、『教えた』ら、シオとサーナがエルフの言葉をできる。『覚える』」
 しばらく沈黙があった。
「……サーナが目覚め、シオがサーナにエルフの言葉を『教えた』?」
「シオは正しい」
 また沈黙。
「……シオとサーナが、エルフの言葉をできる――『覚える』のは正しくない。ジェダンがシオとサーナに言葉を教えるのは正しい。シオとサーナが正しくないので、ジェダンは中にいる……」
 言葉がたどたどしいので気づかなかったが、二人とも半べそをかいている様子だった。私が罰せられたのを、自分たちのせいだと思っているのだ。あのまっすぐな黒い瞳が、涙で曇っているのだ。そう思うと急に、自分のことよりも姉妹のことで胸が痛んだ。
「人間がエルフの言葉を覚えるのは正しい」
 私は二人の涙を止めるべく、毅然とした口調で断言した。
「それが正しくないと言うのは、正しくない。間違っている。マイアとケインが間違っている」
「ジェダンは、でも中にいる?」
「『閉じ込められている』」
「閉じ込められている……エルフの言葉……覚える、正しくないから」
「教える、覚える、正しい。ジェダンがエルフ語を??臧?芻I教えるのも、シオとサーナがそれを覚えるのも、正しい。閉じ込めたケインとマイアが正しくない」
 私は、今度は意図的に禁忌を破った。小屋の扉を、自分で開けたのだ。
 だんだんとか細くなっていくシオの言葉を聞いているうちに、エルフの因習や氏族の戒律に対して、次第に怒りが込み上げてきて、ついには、それに唯々諾々と従って、こんなところにいる自分自身の今の状態が、ばかばかしく感じられてきたのだ。
 扉の向こう側にいた少女たちは、ビックリした様子で、大きく目を見開いて、私をまじまじと見上げていた。
「ジェダン……」
 外は雲のない月夜だった。ほのかな月明かりが、ふたりの不安そうな表情を、いっそう青ざめて見せていた。
 私は居たたまれなくなって、思わず両手でふたりを抱き寄せていた。
「シオとサーナは、ジェダンがタラントに帰す」
 私はふたりともに聞こえるように言った。

 私がエルフ集落の生活について、一部に対してとはいえ否定的な見解をもつようになったのは、この瞬間からだった。
 異種族とはいえ、幼い娘にあんな表情を強いる因習が、正しいものであるはずがない。まあ、客観的に分析すれば、自分が罰せられた理不尽への、私的な恨みも、多少はあったにちがいない。もしあの時、泉に残ったのが私ではなく、他の誰かだったとしても、きっと私と同じことをしたはずなのだから。
 いずれにせよ、私のそのときの決断は、一生涯のうちで最大の転換点だった、と言ってもいい。
「私は、帰り道を知っている」
 そう言ってから、シオとサーナには、これまでと同じやり方で、帰る、とか、道とか、知る、といった語の意味を説明し、二人はほどなくそれを習得した。そして、私の言葉の意味を完全に理解したとき、ついさっきまで泣き出しそうだったその瞳は、まっすぐな光を取り戻していた。
「シオとサーナは、ジェダンと帰る」
 シオが言った。
「タラントに帰る。ジェダンは正しい」
 サーナが言った。
 私は頷き、そして小屋の中に入るように、二人を促した。
 小屋に積んであった薪のうち、細いものを一本選んで、その先端で、地面が剥き出しの床に地図を描く。まずこの小屋、小屋の前の道、集落の真ん中の広場、ルイルの泉、というように、一つ一つ説明しながら書き足していき、姉妹が不安げな表情を見せたら、もういちど説明を繰り返した。そして、最後に大きめの二重丸を描き、
「禁忌の領域」
 と説明すると、少女たちは大きく頷いた。
「禁忌の領域はタラントに帰る道」
「泉まではそこから道を来た」
「そこで目覚めまで、目を閉じていた」
「眠った、だよ、サーナ」
「眠った。目覚めたら、ジェダンとシオは言葉を話した」
 ふたりはやや興奮気味に、私が訂正を入れる隙もあたえずに喋りたてた。わたしはいちいち頷いたが、元気を取り戻したこの姉妹たちの活力に、やや圧倒されつつあった。
「タラントに帰る。禁忌の領域」
「ああ、いっしょに行くのだ、そこまで」
「ジェダンといく」
 私が禁忌の領域と呼ばれる場所までの、隠れた近道を知っているのには理由があった。といっても、なにも特別な理由ではない。惣領と同じく、私も幼い頃に禁忌を破り、その領域に足を踏み入れたことがあるのだ。
 繰り返して言うが、子どものエルフと子どもの人間との情操に、それほど顕著な差異はないのだ。立ち入り禁止の札が掛かった空き地に入り込まない、少なくとも、入り込もうという気にならない人間の子どもが、どこにいるだろう。

 その夜の三人の、マエリム森での小さな冒険は、現在のわれわれ一行、つまり「冒険者」なる身分において、仕事として請け負っているような、正真正銘の冒険のもつ、深刻さや陰惨さとは無縁の、実に気楽なものだった。
 一定以上の規模になるエルフの生活域に、無断で進入してくる妖魔や危険な怪物は、皆無に近いと言っていい。ただひとつ、うっそうと暗い夜の森そのものが、年端もいかぬ少女たちにとって、魔物たち以上に恐怖をさそう存在だった。
 私は光の精霊を、月明かりに照らされた夜露の中からつまみ出して――特に修行を積まなくても精霊と交感できる能力は、エルフと人間の最も大きな差異であろうが――三人の歩く前を行かせることにした。少女たちは、青白い淡い光を放って浮遊する精霊を、不思議そうに見ていた。
「さあ、帰ろう」
 三人は、私を真ん中にして、手を繋いで歩き出した。
「シオとサーナはタラントに帰る!」
「ジェダンと帰る、禁忌の領域!」
「ジェダンと帰る! ジェダン??臧?芻Iは正しい!」
 寂しさや不安を紛らわすためだろうか、姉妹は歩いている間じゅう、節をつけて歌うように、交互にそんなエルフ語のフレーズを繰り返した。
 やがて、繰り返すたびに音程が上がっていくようにシオが仕向けて、サーナもそれに乗った。高い音程では、もはやエルフ語だかなんだかわからない、不思議な音声に変わり果ててしまって、それがおかしくて、三人とも大声で笑いあった。
 覚えたての言葉をすら歌にしてしまう人間の能力は、私にとって、精霊との交感よりも神秘的なことに思えたものだ。
 隠蔽の魔法のほころびをくぐって、禁忌の領域にある遺跡にたどり着いた頃には、明け方近くになっていた。
「禁忌の領域」
「そうだ。シオとサーナは、あそこから帰るんだ」
 遺跡そのものは、たいした大きさでもない。外壁がほとんど壊れていて、周囲には倒壊した尖塔の残骸と思われる巨石が散乱していた。原形をとどめているいくつかの部屋の一つに、「移送の門」は据立していた。
「ここが帰り道だな?」
 私が問うと、ふたりはほぼ同時に口を開いた。
「ここから来た。ここから帰る」
「タラントに帰る」
「わかったわかった。――気をつけて帰るんだ。短い間だったが、有意義な一日だった。君たちのことは、ずっと覚えている」
「……ジェダンは、帰る?」
 シオは門の前で立ち止まって、私を振り返ってそう言った。私は彼女の言葉の意味を図りかねたが、
「私は、小屋に帰る」
 と、とりあえず答えた。するとシオもサーナ
も、私の傍に戻ってきて、袖口を引っ張り、ふたりで私を門の中に押し込もうとした。「おい、ちょっと待て……」
「ジェダン、タラントに帰る!」
「一緒に帰る!」
 そうか、と私は気づいた。彼女たちは、私が一緒に、タラントまでついてきてくれるものと勘違いしていたようなのだ。
 しかしそのときの私には、まだエルフの社会を離れ、森を出て暮らす心の準備もできていなかった。
「私は、一緒にはいかない。小屋に帰る。ここまでいっしょにきた。ここまでだ」
「ジェダン……」
 請うように、サーナが言った。
 私は腰をかがめて、目線を二人と同じ高さまでおろしてから、首を横に振って、繰り返した。
「ここまでだ」
 シオは、妹より先に私の言いたいことを理解してくれたようだった。私の袖から手を離し、妹に、西方語でなにか言って諭すと、サーナのほうも手を離してくれた。
「ここまで……」
 ふたりは、もどかしげに何かを口にしようとした。
「……エルフの言葉できない」
 自分の今の気持ちを的確に表せるエルフ語を、姉妹はまだ習得していなかったのだ。
 すこし間を置いて、私はそれに相当する語を口にした。
 同じ言葉が、その後、二人の口から静かにもれた。

 ふたりが門の向こうに消えた後も、私はしばらく遺跡にとどまって、夜明けを待った。一日の始まりを告げる曙光が、穴だらけの壁のあちこちから抜けてきて、部屋を隅々まで照らし出す。私は遺跡の外に出た。
 ついさっきまで、三人で歩いてきた小径を見つめていると、あの姉妹の歌が耳元に蘇ってくる。暁闇に響くオクターブ。
 私はため息をついた。もうあの歌声を聴くことはないだろう、と思ったからだ。
 朝日が昇りきるのを、かつて壁だった石材に腰掛け見届けてから、私は家路についた。皆が目覚めるまでにあの小屋に戻らなければ、さらに重い懲罰が課されるであろうことは目に見えている。
 しかし、たどり着いた小屋の扉の前には、マイアとケイン、それに何人かの長老が立っていて、帰ってきた私に、それぞれ厳しい視線を投げかけてきた。
「ジェダン」と、ケインが口を開いた。
「どこに行っていた?」
「遺跡です。禁忌の領域の、移送の門まで。シオとサーナを送り届けてきたのです」
 言い訳をしてもしかたがない、ということが私には解っていたので、開き直って私はそう答えた。それに、自分は間違っていない、という確信もあった。
 ケインは渋面をつくって、非難がましく言った。
「人間にエルフ語を教え、懲罰中にかってに脱走し、禁忌とされる領域に踏み込んだ。まる一日の間に、立て続けに三度も禁を犯すとは!」
「あの人間の少女に、たぶらかされたか?」
 そう言った長老の一人に、私は鋭く視線を送った。
「彼女たちは悪くない! 全ては私の一存で行ったことです、惣領。罰すると言うのならば、私が甘んじてそれを受けましょう。ただ、私は間違ったことをしたとは、今でも思ってい??臧?芻Iない!」
 私がそう一気にまくしたてると、長老たちは閉口して、お互いに視線を交し合ったり、頷きあったりした。
 やがてマイアが大きく頷き、口を開いた。
「ジェダン・ダントゥール。アラニスの息子よ」
「は、はい」
 あらたまった呼ばれ方に、私は意義を正した。
「アントゥール氏族の口伝にある掟を、覚えおくがよい。『日が天を巡り、再び同じ場所に戻るまでのわずかな時間に、三たび禁忌をあえて侵したる者、その良心を当人に諮りて、恥ずべきところなくば、罰することなかれ。むしろ称揚すべし』」
 古めかしいエルフ語の言い回しのせいか、重い罰を受けるものと決めつけていたせいか、最長老に何を言われているのやら、一瞬、私は理解し損ねた。
「は、はあ?」
 という、ひどく間抜けな返答に、マイアは小さく舌打ちしてから、腹立たしげに言い添えた。
「無罪放免、ということじゃ! 三度も禁を犯して、それでも『自分は悪くない』なんぞとほざく奴は、よっぽどの大物なのじゃろう、腹をくくって決断したに違いないよって、罰することなく、ほめてやれ、ということらしい。ふん、アラニスの息子は運がいいわい!」
「無罪、放免……」
 説明されても、にわかには信じられなかった。
 まあそれは、そのときに至るまで、自分が思っていたほどにはエルフの秩序から逸脱したモラルを持っていたわけではない、ということだろう。
 ともかく、私は許された。両親や兄弟は、私の冒した今回の一連の「悪行」をやや冷笑的に見守ってくれていたらしく、姉の一人は「よくやった」とまで、半ば皮肉であろうが、言ってくれた。まったく、良い家族を持ったものだ。
 ただ私自身だけが、自分の意思で行ったはずの決断を、太古の昔に掟をさだめたエルフに見透かされていたような気がして、なんとなく面白くなかった。

 まあ、こんなところで、私の話はそろそろ終わらせておきたい。
 あとは、他愛のない後日談があるだけだ。
 その後何年かしてからのことだ。私はあの事件以来、それまで当たり前に思っていたエルフ集落の生活が、急に退屈に思えはじめ、しかし森を出て生活しようとまでは決断できずに、悶々とした時間を送っていた。
 しかし、ある日不意に、ルイルのほとりにまた、シオとサーナが現れたのだ。
 二人ともすっかり年頃の女性になっていて、私の方が年下に見えるほどだった。人間の成長がエルフより性急だと言うことは知っていたが、あの小さい女の子たちが、ほんの何年かの内にあそこまで成長したのを実際に見て初めて、その年齢の過ぎ方の差異を肌身で感じたものだ。
 変わっていない点もいくつかあった。彼女たちのエルフ語への興味はその一つだ。実はその頃、ふたりとも「賢者の学院」に通い、異種族の言葉や魔法語の習得に励んでいたのだが、ふとエルフ語の復習がしたくなってここに来てみたのだ、と話してくれた。
 ふたりは、私があの時教えたエルフ語の語彙を、大方覚えていてくれた。そして今回は、下位古代語という共通語があったので、会話はスムーズに進んだ。私も、長老連中から古代語を学んでいる途上だったから、言葉そのものは流暢ではなかったかもしれないが、前回よりも豊富な語彙が扱えるようになったことは間違いない。
 そして、あの当時には聞けなかったいろいろな事情を、そこで尋ねることができた。
「あの時、どうして君たちは移送の扉をくぐったのだ?」
「あたしと妹は」とシオは答えた。「タラントに住む、故買商の娘なんです。父が買い込んできた、怪しい品々の中に、古めかしい鏡台があって」
「鏡台……ああ、鏡をすえつけてある小さい箪笥のことだな」
「そう。それで、鏡にカバーがかけてあったんです。『これを取ると、大変なことになる』と父からは言われていたんですけど……」
「お姉ちゃんが、興味本位で開けちゃったんですよ」
「サーナが開けたんでしょ!」
「お姉ちゃんよ。あたしは覚えてるわ」
「まあ、どっちでもかまわないが」
 私は苦笑した。
「ともかく、先取りして言うと、その鏡台が『移送の扉』の片方の入り口になっていた、というわけだな」
「そうです。あ、『それは正しい』」
 昔のつたないエルフ語の言い回しをわざと使って、シオは楽しげに笑った。そして、その鏡台の元の持ち主が、古代王国の有力者の娘か妻であって、あの遺跡の主人に縁のある人物だったのだろう、という、彼女たちの学院での師匠による見解も紹介してくれた。私もその意見に賛成だった。
「……なんにせよ、姉妹のどちらかの興味本位のおかげで、私ときみたちは出会うことができた??臧?芻Iわけだ」
「そして、再会することも」
 サーナが感慨深げにそう言ってから、すこし不安そうに尋ねた。
「ジェダン、またエルフ語を習いにきてもいい?」
「いいとも」
 私が快諾すると、ふたりは表情を明るくした。
「よかった!……良かったね、お姉ちゃん」
 妹は意味ありげにそう言って、姉に同意以上のものを求めていたようだったが、シオは取り合わずに、
「ええ」とだけ答えた。

 ふたりはその後も、しばしばマエリムを訪れて、人間の世界の話や、当時の共通の興味だった古代語の話、エルフ以外の異種族の話などを交わす機会をもった。
 エルフ語の習得に関する古臭い因習は、その頃にはすっかり有名無実のものとなっていて、他のエルフたちも会話に加わったりしていた。中には、人間の言葉を彼女たちから教えてもらおうとする者もいて、ふたりの来訪と滞在は、次第にアントゥール氏族の恒例行事のようになっていった。
 サーナの葬式に呼ばれたのが三十年程前になる。
 彼女の孫とも、私は親密な付き合いを保っていたのだ。人間にしては長生きしたほうだったが、そのときも、エルフと人間との時の流れの差を痛感せずにいられなかった。
 シオもその二年後に逝ってしまった。彼女は寿命の近い種族と結婚できなかった分、妹に比べ、少し不幸だったかもしれない。子どももできなかった。
 私が、もっと人間の世界を知りたいと思い、冒険者になることを望むようになったのは、そのすこし後だった。
 ああ、つまりその――妻の死の、すこし後、ということだ。


(終わり)