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      「空と雲雀」
 
 
 

 歌はどこにでもおちている。
 それがクスカの口癖だった。
「歌なんて、どこにでも落ちてるんだ。ボクらの仕事は、それをひろいあげて、磨いてあげることさ。それを忘れて、いい歌は歌えないよ」
 彼女は自分で描いた旋律にさえも、そういう突き放した態度で接し、奏でた。
「ボクがこの曲を生んだのじゃなくて、この曲が、ボクによって形にされることを選んだんだ、ってボクは思ってる」
 どこかで聞いたことのある旋律、言い尽くされた言葉を繰り返し歌い継ぐからこそ、人は時間を越えて歌に酔うのだし、吟遊詩人の腕前も比べることができる。新しい歌をつむぎだすときも、まったく何もないところからは、何もでてきやしない。
 クスカの言ってた言葉の意味が、今の僕にはよくわかる。
 だけど、彼女が僕の恋人だったあの頃は、何一つわかってはいなかった。

 彼女はオランの酒場回りの歌姫で、僕は一介の冒険者だった。
 西方にある故郷をはなれ、この異郷の都で、魔術師として、賢者の学院と古代遺跡を行ったりきたりする生活をはじめてから、二年目の冬を迎えようとしていた頃。冒険仲間と立ち寄った酒場で聴いた、クスカ、という変わった名前の少女の奏でる歌声が、すっかり僕を虜にした。
 彼女が歌ったのは、よく知られた俗謡だった。
 だが、クスカの喉から響く、張りのある高音域の発声と、早いテンポでコードを刻むリュートの音色とが絡み合うと、それがまったく別の歌のような、独特の雰囲気をかもし出すのだ。楽器の腕前にはまだ上達の余地があるようだったが、歌い手としての才能の片鱗は、この頃から見え隠れしていた。
 一曲歌い終えると、ホールのあちこちから拍手が起こり、銀貨が投げよこされた。
「すてきな歌声だ」
 僕は手を打ちながら席を立ち、近くの席にいた他の何人かのファンと一緒になって、彼女に歩み寄った。
 クスカは軽く会釈して、他の誰にでもそうするように、
「ありがとう」
 と言った。
 僕はポケットの中を探って、その日の冒険の分け前からひとつ、綺麗な円盤に加工された魔晶石を彼女に手渡した。オランの地下遺跡で見つけたのだ。
「へえ、きれいだね。ありがとう」
 クスカは円盤を手にとると、魅入られたようにそれを見つめ、そのうちランプにかざしてみたり、くるくると回転させてみたりしはじめた。
「気に入ってくれたかな」
「うん、すてき。詩想が湧きそう」
「はは、その歌が出来たら、また聞かせてもらいにくるよ」
 その日はそれで別れた。
 が、予期せぬことに、次の日、彼女のほうから、僕に会いたいと言ってきた。
「この円盤のことで」
 クスカは言った。僕はすこしがっかりしたが、彼女と二人で会話が出来るだけでも幸せだ、と思い直し、
「じゃあ、いつもの酒場で話そう」
 と誘うと、彼女も了承した。
 いつもの酒場の、いつもの席。普段なら、僕以外のパーティメンバーが座っている椅子に、普段ならステージの上にいるクスカが、僕と差し向かいで座っている。まだ若かった僕は、ただそれだけのことで、ひどく緊張していた。
 昼間なので酒は遠慮して、僕はミラルゴ茶を、クスカは野菜ジュースをひとつ頼み、亭主の厚意で、幾皿かのオードブルを添えてもらった。
 オードブルの海老の殻をむいて、テーブルの中央のフィンガーボウルで指先を洗う。
「新しい歌はできたかい?」
 指先を拭きながら僕が尋ねると、クスカは首を横に振った。
「新しい歌なんて、そうそうできるものじゃないよ。――歌はね」
 クスカはすこし気難しげな表情になって、野菜ジュースを一口含んだ。
「歌は、生み出すんじゃないんだ。見つけるものなのさ」
「見つけるって……」
 そこで彼女は、例の口癖を口にした。
「歌なんて、どこにでも落ちてる。僕ら吟遊詩人は、それを拾って、磨いてやるんだ」
 僕がその口癖をはじめて聞いたのは、そのときだったと記憶している。
 まるで当たり前のことのようにそう言う彼女の、そのときの表情や仕草が、あまりにも自然で、僕はつい見とれてしまった。
 今おもうと、僕が彼女の歌だけではなく、彼女という人間を好きになったのは、その瞬間だったかもしれない。
「なに? ボクの顔になんかついてる?」
「い、いや。――で、昨日の円盤がどうしたの?」
 僕がごまかすようにそう言うと、クスカはすこし????????m????????U微笑んでから、袂に手を突っ込んで、昨日僕があげた虹色の円盤をテーブルの上に置いた。
「これと同じ物が、他にもなかったかい?」
「遺跡に? いいや、僕は気づかなかったけど」
「じゃあ、傍にどういうものがあったか教えて欲しい。ひょっとして、水場があったんじゃないかな」
 僕は、おとといの冒険を正確に思い出そうとした。オランの地下道。古代の迷宮。
「……うん、たしかに、古代の洗面所みたいな、小さな手水鉢があった」
「やっぱりそうか――ねえ、これは面白い発見をしたかもしれないよ、ええと……」
 そういえば、僕は名乗っていなかった。
「エッサ。そう呼んでくれ、クスカ」
「エッサくん。いい名前だ。ラムリアースの生まれなんだね」
 エッサという名は、たしかにラムリアース出身者に多い特殊な名前だ。上位古代語の単語を、普通に発音できるようにつづり直したものなのだ。吟遊詩人として各地を回るうちに、彼女はそういう知識を身に付けたのだろう。
「ああ」僕は頷いて言った。
「ライナスの近くの、フェムっていう村だ。君の名前もいいじゃないか。クスカ」
 クスカはエルフ語で「小鳥」を意味する接尾辞であり、単独で用いられると「雲雀」を指すことが多い。
「自分でつけたのかい?」
「いや、本名だよ親が酔狂でつけたのさ。物語にあやかって」
「物語?」
「知らない? 雲雀と虹の物語」
 僕が首を横に振ると、クスカはかたわらのリュートを構えて、一編の物語を歌った。

 一羽の小さな雲雀が、太陽に憧れて、
 どこまでも高く上っていこうとした。
 だがイジワルな雲が行く手をさえぎり、
 太陽を隠して、雨を降らせた。
 雲雀はぬれた羽を懸命にはばたかせたが、
 ついに力尽きて、落ちそうになった。
 雲雀は叫んだ。
「太陽よ、太陽よ。ぼくはただ、
 あなたに歌を聞かせたいだけなのです」
 太陽はその声を聞き届けて、
 西風に命じて雲を吹き払わせた。
 雲雀は、でも、これ以上はばたくことが出来なかった。
 太陽は、あわてて、空高くに大きな橋をかけ、
 雲雀はそこで羽を休めることができた――。

 クスカはそこで指を止めた。
「まあ、ここから先も何節か続くんだけどね」
「一度、君の親御さんに会ってみたいなあ――それで、何が面白い発見だって?」
 そう言うとクスカは、にやりと笑って、円盤を持ち上げ、テーブルの真ん中にあるフィンガーボウルに、それを静かに落とした。
 ボウルには水が満たされている。円盤は沈みかけたが、途中で浮き上がって、そして水面近くにまで来たとき、突然回転をはじめた。
 と、そのとき。すぐ近くから、誰かの歌声が聞こえてきた。
「なんだ?」
 驚いてあたりを見回したが、歌声の主は見当たらない。
「この円盤が歌ってるんだ」
 クスカは説明した。昨日の夜、この円盤を宿屋の浴場に持ち込んだところ、同様に回転して歌を奏ではじめたのだと言う。
「昨日とまったく同じ声、同じ歌だね――きっとこれは」
「記録装置……古代王国時代の、音楽の記録装置だ!」
 僕は上ずった声で言った。クスカも同意のうなずきを返した。
「ボクもそう思う。もしそうなら、これと同じ形の魔晶石が見つかったら、きっとそれにも、古代の歌が記録されているに違いないよ――まったく、歌はどこにでも落ちている。
古代遺跡にも落ちていた、ってところかな」
 歌が終わる。なんとも不思議な旋律の古代の歌。飽食と怠惰と奢侈の悪徳で身を固めた古代王国人が、歌を歌う文化をもち、記録し、流通させていたというのは、古代王国の研究史上まれにみる大発見になるだろう。
 研究家として、僕はそれを思うと興奮したが、ひとつ気になることがあった。
「それを水に入れると歌い始めるのはわかったけど、どうやって――ええと」
「どうやって、歌を『吹き込む』のか。ボクも興味がある」
 クスカは、言いよどんだ僕の言葉を先取りした。吹き込む。ドワーフの職人たちが、自分の作品の仕上げをするときによく使う。命を「吹き込む」と。僕は単に異種族語の知識としてそれを知っていたが、クスカが口にすると、とても詩的に聞こえた。
「多分、専用の魔法装置があるんだろうな」
 僕は穏当な考えを述べた。
「それを確かめたいんだ。――エッサに頼んでもいいかな?」
 僕はビックリした。そういう成り行きになるとは思っていなかったのだ。????????m????????U
「それは、その、冒険者としての僕に依頼する、ってこと?」
 クスカは首肯し、僕の返事を待った。つまりこの時点では、彼女は僕のことを、一人の知り合い冒険者としか見ていなかったのだ。それがわかった瞬間、期待が外れたことで、僕は露骨に嫌そうな顔になっていたのに違いない。
「だめかな、やっぱり」
 クスカは諦めかけたような口調で言った。
「君のパーティはベテランぞろいだから、依頼料も高いと思うけど……」
「いや」僕はあわててかぶりを振り、ひきつった笑みを浮かべた。
「こっちこそ、願ってもない申し出だ。僕も興味があるから、報酬は要らない。他の面子にも頼んでみるよ」

 円盤の記録用装置を探す冒険。クスカはそれに同行した。
 僕の仲間は、僕自身のほかには戦士が三人、神官が一人、盗賊が一人、という構成の、ごく普通の六人パーティだった。これにクスカがはいって七人になる。
 一度もぐった遺跡の再調査は、珍しくない依頼だった。
 だいたい一度目は、他の目的で探索を余儀なくされてもぐるケースが多く、そこで新しい入り口や仕掛を発見しても、目的達成の邪魔にならない限り、「触らぬ神にたたりなし」とそのままにされるのが普通である。そして冒険者の店から報告を聞いた魔術師ギルドや盗賊ギルドが、同じ遺跡の再調査を依頼してくるのだ。
 だから、リーダーのローカスも特に反対しなかった。報酬は、僕が学院に掛け合って、「学術調査費用」として総額千二百ガメルを助成してもらった。
 もっとも、クスカが同行することを打ち明けると、サブリーダーのブルーギルに
「ほほう、朴念仁のエッサ師にも、とうとう春がきたか」
 と冷やかされ、僕は言い返せないまま赤面するほかになかった。
 特に気の合った仲間というわけでもなかったが、長い付き合いの中で、お互いの心情はわかるようになっていた。他のメンバーも、「そういうことなら」と協力を惜しまず、相場より低額の報酬にもかかわらず、クスカの依頼を受けることになった。
 オランの地下道の全図を描くことは、盗賊ギルドきってのマッパー(地図描き)を自称するわがパーティの盗賊・アヤカの腕を持ってしても不可能だ。立体的に交差する部分を含む複雑な全体構造や、微妙な曲線で方向感覚を狂わせてしまう道、動く壁や階段、その他、大量の罠。これらがあいまって、完全な地図の作成を阻んでいる。
 われわれは前回アヤカが描いた概略図と、記憶と勘をたよりに、遺跡の奥へと進んだ。
 住み着いていた怪物たちは、前回の探索の折に、おおむね掃討されている。もっとも、ゴブリンやコボルドといった妖魔たちは、どこでどう増えるのか、倒しても倒しても沸いて出るのだが。
 しかし今回は、そうしたしつこい連中とも遭遇せずにすんだ。ブルーギルは「張り合いがねえな」とぼやいていたが、冒険初心者のクスカを連れていたので、何もないのは幸運だったと言えよう。
「ここが、例の円盤を発見した場所だ。エッサ師、間違いないな」
 目的の場所にたどり着くと、ローカスが僕に確認を求めた。
「僕の記憶でも、その通りだよ。――クスカ、どうだ?」
 早速きょろきょろと辺りを探し始めていた彼女に、僕は声をかけた。すると、彼女はこっちをむいて、「しっ」と、沈黙を要請する仕草を見せた。
 ぼくは声をひそめた。
「どうしたんだい?」
「聞こえない? 歌だ」
「歌?」
 僕は耳を澄ました。――たしかに歌だ。小さな声ではあったが、歌声が聞こえる。他のメンバーも口を閉じて、耳に手をあて、かすかな歌声を拾った。
「へえ、さっすが、吟遊詩人さんだね。耳がいいや」
 アヤカが感心したように言う。
「あっちのほうだな。――この壁の向こうか」
 僕が壁に身を寄せると、突然、その壁がぐるりと回転し、そしてぽっかりと、別の空間につづく入り口が開いた。
「お手柄だな、吟遊詩人」ローカスが手を叩いた。
「隠し部屋か。前に来たときは、気づかなかった」
「この中を探索してみよう」
 僕はランタンを掲げて、未知の空間に一歩を踏み入れた。ローカスが後に続く。
 足元の感覚が、それまでの道とは違うものになった。砂だ。ランタンを低く構えると、ずっと砂地が続いているのが見えた。
「エッサ師、明かりの魔法を」
「わかった」
 足場がおぼつかないのは、とても危険なことだ。僕はランタンの灯を消すと、リーダーの指示通り、「ライト」の呪文を唱え、あたりを強く照らす明るい照明をランタンに宿した。「へえ、これが魔法の光か。はじめてみたよ」  クスカが嘆息して言った。
「明るいだろう。古代人は、夜もずっと、こんな明かりの中で生活していたんだ」
「きっとみんな、寝不足で悩んでいたんだろうな」
 クスカはそう言って笑い、また新しい歌をみつけたよ、と言い添えた。
 注意深く歩みを進めると、砂地は途中から湿り気を帯びはじめ、やがて、大きな水溜りのほとりにたどり着いた。
 先ほどの歌声は、もはやささやきではなく、大合唱となっていた。同じ歌が何重にも輪唱され、洞窟に響いて、さらにエコーがかかっている。
「地底湖だね」
「水――そうか!」
 僕はランタンを水の上にもっていった。透明な水の中に、いくつもの、回転する虹色の円盤が照らし出された。歌声はそこから聞こえていた。
「……いっぱいあるわね」
 神官のユイランが、僕の後ろから覗き込んで言った。他のメンバーも、それぞれ水中の、大量の虹色に興味を示している。唯一、水の苦手なドワーフの戦士アバードだけは、恐々として近寄ってこない。膝まで水に浸かっていた軽装のアヤカは、それを面白がって、両手で水をすくってアバードに投げつけ、遊んでいた。
「予想通り、ここにはこの円盤の工房があったんだ」
 僕がいうと、クスカが怪訝そうに尋ねた。
「円盤の工房?」
「そう。つまり、円盤状に加工した魔晶石に、何らかの情報、――つまりこの場合、歌だけど――それを記録して大量頒布する工房さ。同じ歌が吹き込まれた円盤がたくさん集まっているのが、その証拠だ――君が言ってた、『円盤に歌を吹き込む』装置も、ここにあるに違いない」
「そうかな」
「たぶん。あっけない結末で、がっかりした?」
 クスカは頭を振った。
「でも、もしエッサくんの言う予測が本当なら、ボクは……」
 言いかけて、クスカは黙った。
「どうした?」
「ううん。なんでもない」
 僕はそのとき、彼女のその沈黙の意味を、もっとよく考えてみるべきだったかもしれない。そうしたら、悲しい結末は迎えずにすんだかもしれないのに。

 遺跡にはたしかに、円盤の記録装置があった。それは驚くほど小さな装置で、地上に持ち帰ることすらできた。金属製の二つの円盤が、特殊なちょうつがいで繋ぎ合わされ、その間に魔晶石の円盤を挟み込むようになっている。お菓子のワッフルを焼くのに使う、ワッフルパンと同じ構造だ。
 金属板の表面には、おそらく搬送用と思われる樹脂製の取っ手がひとつと、装置の操作に関係するのであろう、細かいつまみやスイッチがいくつも並んでいて、ちょうつがいに近い部分に、いくつかの小さな穴が穿たれていた。
 虹色の円盤も何十枚か持ち帰ることが出来た。古代の歌が吹き込まれたものに混じって、何も吹き込まれていないものもあった。
 僕は早速、クスカに記録装置の使用法を説明した。冒険から帰ってきた直後から、僕は二日かけてそれを調べ上げていたのだ。
「……で、このつまみで、記録音量を調整する。そして、この穴にむかって歌う。こっちのスイッチで、記録開始だ。今のところ、わかっているのはそれだけだな」
「へえ。よく調べたね。面白そうだな」
「ちょっとこれを聞いてくれ」
 僕は、昨夜自分が吹き込んだ円盤を、フィンガーボウルに落とし込んだ。僕のへたっぴな歌が、大音量で酒場じゅうに響き渡る。カウンターの向こうから、亭主が「営業妨害だ」と言いたげに、恨めしげな視線を送ってきたので、僕はすぐに再生を停止した。
「ま、まあ、こんなところ。きっと君なら、僕より上手に使えるんじゃないかな」
 クスカは首をひねって、僕がまだ調べていないつまみをいろいろと動かしながら言った。「うーん、どうかな。でも、使い方によっては楽しそうだね」
「だろう?」
 僕は自慢げに言った。べつに僕が作り出したと言うわけではないが、僕の予想通りのものが予想通りに存在した、というだけで、まるでその装置が自分のためにあるかのような錯覚に陥っていた。
「で、まさかまた、これをボクにプレゼントしてくれるわけじゃないだろう?」
 クスカが苦笑しつつ、冗談めかしてそう言った。僕はそこで真顔になって言った。
「――じつは、受け取って欲しいものがあるんだ」
「え?」
 クスカは当惑して、何をいったらいいか、言葉を選んでいるようだった。僕はすかさず、用意してあったもうひとつの円盤を水に浮かべた。
 円盤が沈み、しずかに回転をはじめる。水面がゆらぎ、細かく波立って、記録されていた声が響き始めた。
『クスカ、好きだ。この気持ちを伝えたかった』
 僕の声だ。  そして僕は、じっと返事を待った。クスカはしばらく黙っていたが、僕の真剣そのものの表情をきょとんと見据えて、ほどなく大声で哄笑し始めた。
「あの……クスカ?」
「あはは……ごめん、笑って。――いいよ、エッサ。ビックリしたけど、面白い告白だった。恋人になってあげる。――ボクも、君を好きになりかけてたから」

 正直、クスカがそのとき、僕のどこを「好きになりかけていた」のか、今もってわからない。自分のいいところなんて、自分ではわからないものなのだろう。
 とにかく、その日から僕と彼女は恋人同士になった。
 その当世の恋人同士がするべきことは、およそこなし終わって、それなりに緊張が解けてきた頃。
 ふたりは街場のはずれにある下宿屋で同棲しつつ、お互いの技を――僕は魔法と研究、彼女は学士として――研鑚していた。僕の研究対象は例の魔法装置だが、研究内容は広範にわたる。装置の機能、円盤の装置内での挙動、また記録された歌詞の内容、メロディーを作っている音階の分析、などなど。冒険者の仕事もたまにはこなしているが、研究のため、その時間が取れないことも多くなっていた。
 僕はその日、ふたりの部屋に、ため息をつきながら帰ってきた。
「どうしたの、ため息なんかついて」
 ちょうど酒場のステージから戻ってきていたクスカが、心配して尋ねた。僕は肩をすくめ、事情を簡単に話した。
「研究費が削減された……魔術師ギルドに対する、王室の助成金が減っちゃったんだ」
「ご愁傷様。――でもほら、研究は続けてもいいんでしょ? 差し止められないだけましだよ。成果があがれば、学院だってチップをはずんでくれるさ」
「実は、そこも微妙なんだ」
 クスカに賢者の学院の複雑な予算制度を説明する気は起こらなかったが、要は「重要な研究」に対する研究費を維持するために、それ以外の雑多な研究費が大幅に削減されてしまったのだ。事実上の研究差し止めに近い。
 大雑把にそれを説明すると、クスカは憤慨した。
「重要か重要でないかなんて、誰が決めるのさ!」
「王室の、学院顧問官ていう官僚だ。要するに、軍事利用とか、即効性の経済効果が期待できるものが重要なんだ。僕みたいな、興味本位ではじめたお遊び半分の研究は、後回しも後回しさ」
「ひどいよ、それ」
「まったくね」
 僕は半ば諦めかけたようにそう応じたが、クスカの怒りは僕以上に激しいもののようだった。
「よし、ボクがエッサの研究費稼ぐ! だいじょうぶ、酒場の親父さんに頼んで出演時間を三倍ぐらいに……」
 僕は彼女の義侠心をありがたく思ったが、しかしかぶりを振った。
「どうして?」
「今だって、生活費のために相当無理して稼いでるじゃないか。それに、ステージで稼げる額とはひと桁違う」
 言わなかったが、プライドの問題もあった。恋人の稼ぎを食いつぶしてまで研究を続けるというのは、男として惨めなものではないか? 当時の僕は、意識していたかどうか別として、そんなくだらないプライドをたくさん持っていた。
 それがなければ、この後の展開もすこし違っていたかもしれない。
「だいじょうぶ」僕は虚勢を張った。「僕の問題だもの、僕が何とかするさ」
「そう……あーあ、ボクの体があと十人分ぐらいあればなあ。オラン中の酒場で歌って、一晩で何千ガメルも稼いであげられるのに」
 僕がいいアイディアをひらめいた、と思ったのは、クスカが呟いたそんな言葉がきっかけだった。
「それだ!――そうだよ、あれを使おう」
 クスカは、先走って興奮する僕の言葉の意味を取りかね、首をかしげた。
「あれ、って何?」
「あれだよ。歌を記録する円盤さ。君の歌をあれに吹き込んで、オラン中の酒場に売り込むんだ!」
 一瞬、クスカは絶句した。
「……オラン中に、あの円盤で、ボクの歌を?」
「そうさ!」
 僕はその思いつきに、すっかり心を奪われていた。だから、そのときのクスカの表情がわずかに曇ったのを、すっかり見過ごしてしまっていた。
「これはすごいぞ。もし成功すれば、普通の人にも売って稼げるようになる。吟遊詩人の仕事も、生演奏から円盤の売り込みに変わるかもしれない。遺跡から円盤を拾ってくるという冒険者の仕事も増える」
「ねえ、エッサ……」
 声をかけた彼女のトーンの変化にも気づかず、僕は興奮気味にクスカを抱きしめた。
「君の歌声が、歌う文化の構造を変えるかもしれない!」
 僕があまりにも上機嫌だったから、クスカは何もいえなくなった。彼女はすこし口をつぐんでから、諦めたように目を閉じた。????????m????????U
「……わかった。君がそうしたいのなら、応援するよ。でも一つお願い」
「なんだい?」
「吹き込む歌は、ボクじゃない吟遊詩人に歌ってほしい。それなら、協力する」
「でも……」それでは意味がない、と僕は言った。
 クスカが――僕のクスカが歌うのでなければ、この企画には魅力がなくなってしまう。
 だが彼女の決意は固いようだった。
「友達に、そういうのに興味ありそうな子がいるんだ。分け前をケチらなければ、協力してくれると思う」
「友達、か……でも」
「だいじょうぶ。変わった子だけど、ボクなんかより、ずっといい腕の楽士だから」
 そして僕は、レイチェル・クーンと出会うことになる。

 レイチェルは、クスカと同じ頃に吟遊詩人をはじめた、いわば同期のライバルだった。クリアな歌声のクスカに対して、レイチェルは力強いゆれのある、感情のこもった歌声を持つ。どちらかというと地味めで、カジュアルな衣装を好むクスカに対して、レイチェルは何着もの派手なドレスを着こなす。ふたりは、まるで対極に位置していた。
 そして彼女は、歌に関しても、クスカとは違う見解を持っていた。
「あたしの歌は、あたしの人生そのものがもとになってるんです」
 レイチェルは臆面もなくそう言いきった。
 人生、といっても、彼女はそのとき、まだ十六歳かそこらで、クスカとあまり変らない年齢のはずだった。それとも、その短い半生の間に、余人の想像だにしないほどの、苛烈な人生経験をつんできたとでもいうのだろうか。
「あたしの歌を聞いて、あたしのことを、少しでも知って欲しい。そう思って、いつも歌ってます。――先生の計画は、あたしのこの思いをかなえてくれそうな気がするの」
「そうかい。――円盤のこと、クスカから聞いてるかな?」
 彼女は、クスカから僕を紹介されて、魔術師ギルドの僕の研究室までやって来たのだ。
「ええ」レイチェルは頷いて言った。
「――先生は、本当は彼女に歌って欲しかったんでしょ?」
「そんなことまで、クスカはいったのかい?」
 僕が、やれやれ、という調子でため息をつくと、彼女は頭を振った。
「わかりますよ、それぐらい。あたしが先生でも、そう思います」
 そして、口元に手を当てて、意味ありげに微笑んだ。僕はその仕草に、なんとなく不安なものを覚えたが、例の企画をなんとしても成功させるために、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。
「とにかく、今となっては、君に頼るしかない。こっちに来てくれ」
 僕は、例の「円盤録音機」――この名は僕の命名だったが、クスカはその形状から「ワッフルパン」と呼んでいた――を置いてある、防音実験室に彼女を案内した。
「……ここに円盤を挟み込んで、この穴から歌を吹き込む。わかるね?」
 説明を熱心に聞いていたレイチェルは、緊張した面持ちで、こくんと無言で頷いた。
「じゃあ、僕は隣の部屋にいるから。好きなように歌ってくれ。大体、一時間ぐらいはその円盤一個に収まるはずだ」
「わかりました。歌います」
 彼女の楽器は、クスカと同じリュートだった。だが、その奏法はもっと繊細で、分散和音と主旋律の演奏を器用に並行させつつ、細いからだのどこから出てくるのか、というほどのパワフルな歌声をそこに乗せた。
 出来上がった円盤には、四曲分の演奏が収録された。実験室から出てきたレイチェルは、汗びっしょりになっていた。
「おつかれさま」
 僕がタオルと野菜ジュースを渡すと、レイチェルは喜色満面でそれを受け取り、額の汗をぬぐいつつ、ジュースをほとんど一気飲みして、幸せそうに息をついた。
「はあー、生き返るわ……ありがとうございます、先生」
「休んだら、もう一枚お願いするね」
「はい!」
 レイチェルは元気よく返事をした。

 レイチェルが最初に録音した三枚の円盤は、オランでも有名な三軒の酒場に一枚づつ売り込んだ。ものめずらしさもあって、この「魔法の吟遊詩人」はすぐさま人気を博した。
 気合を入れて歌っただけあって、レイチェルの演奏の中でも名演に近い音源である。その日の調子によってむらのある生演奏よりもいい、という客までいた。
「でも、名前が売れたおかげで、ステージの指名も増えたんですよ」
 レイチェルは嬉しそうに報告してくれた。
「そうかい。――商売に差し障るようだったら、僕の研究のほうはキャンセルしてくれてもかまわないよ」
「そんなこと。そのうち、円盤の売り上げ配当の方が、ステージよりいい稼ぎになるんじゃないかしら」
「だといい????????m????????Uんだけどね」
 そのときは冗談めかしてそう言っていたのだが、好評を博した録音円盤の噂は、たちまちオラン中の酒場に広まった。六枚目の円盤の入札では、はじめて五桁の数字がついた。
 おかげで、僕の研究費の補填は順調に進み、魔晶石の記録媒体としての側面に着目していた他の研究者との共同研究で、一つの円盤から他の円盤に再録音する装置を作り上げることにも成功した。これでレイチェルに負担を強いることなく、何枚も円盤に歌を吹き込むことが出来る。
 僕は初期に発売した円盤の二次録音盤も量産し、廉価で頒布した。売り上げは伸び続け、「レイチェル」の名前も知られるようになってきた。
「順調みたいだね」
 ある日ふいに、クスカが弁当を作って、研究室に来てくれた。
 研究が深夜に及び、時には泊まりこむことも珍しくなくなっていて、クスカとはしばらく顔をあわせていないような気さえしていた。むしろ、レイチェルといっしょにいる時間の方が長い。
「クスカも、ようやく歌を円盤に吹き込む気になったのかい?」
 サンドイッチを手にとってそう言うと、クスカは苦笑して横に首を振った。
「ボクは、食べるワッフルの方がいいや。それより、レイチェルはどう? いい歌を歌うでしょう」
「ああ。さすが、君のライバルってだけのことはあるね」
「そんなのじゃないよ――ボクは、ほら、こういうのは、彼女の方が向いてるな、って、なんとなくそう思っただけなんだ」
「たしかに、クスカには向いてないわね」
 レイチェルがいつのまにか、録音室から戻ってきていた。
「ちょっと間違っても録り直しだもの、同じ歌でも歌うたんびに違うあなたじゃ、円盤が何枚あっても足りないわ」
 一度録音した円盤は、上書きできないのだ。僕は肩をすくめた。
「不機嫌そうだね、レイチェル。また録り直しかい?」
「違います。――あら、おいしそうな愛妻弁当ですね」
「食べる?」とクスカが無造作に、サンドイッチを一つ手渡す。
「遠慮しとくわ」レイチェルはそれを手に取ると、僕の口に押し込んだ。「あなたはライバルだもの。いろいろと、ね」
 そしてきびすを返すと、かつかつと足音を響かせて、廊下のほうに出ていってしまった。
「どうしたのかな。えらく苛ついてるけど」
 僕がレイチェルの背中を見送りながら、もぐもぐとサンドイッチをほおばりながら言うと、クスカはすこし寂しげに笑った。
「ボクがいろいろと、ライバルだからでしょ、きっと」
「え?」
「じゃ、先に帰ってるから。――無理しないで、エッサ」
 思えばこのとき、クスカにはもうふたりの行く末が見えていたのかもしれない。きっとレイチェルにもわかっていた。
 そして僕だけが、わかってなかった。

 その夜。
 音質の劣化についての統計を取るため、僕とレイチェルは夜中まで実験を繰り返した。販売用の円盤の原盤も四枚ほど増え、そのうち二枚はそのまま、すぐにでも商品になりそうな出来だった。
「すまなかったね、レイチェル。遅くまで」
 僕はねぎらいの意味をこめて、ミルク入りのミラルゴ茶を一杯淹れ、彼女に差し出した。録音室の椅子で、惚けたように座り込んでいた彼女は、熱い茶をすすって、満足そうに微笑んだ。
「大事な研究ですもの、あたしにとっても」
「研究がここまで進んだのも、君の協力のおかげだ。感謝してる。そうだ、この盤から、君の取り分をすこし増やそう」
「ありがとう、先生。でも、いまのままでいいわ。――ねえ、先生」
「なんだい?」
 僕は自分用の茶を淹れながら答えた。レイチェルはそっと、円盤録音機に指を添えた。
「この機械のおかげで、あたしの歌声も有名になったけど、でも本当は、先生はクスカの歌を有名にしたかったんでしょ?」
「まあね。だけど、彼女がいやだって言うんだ。しょうがないさ」
「しょうがなくて、――代わりに、あたしなんですよね」
 僕は失言に気づいて、慌てて訂正した。
「レイチェルは、その」
 なんと続けていいか迷った挙句、僕は言った。
「最初はそうだったかもしれないけど、今はもう、君なしではやっていけない。少なくとも今は、君の歌のためだけに、この研究を続けているといってもいい」
「でも、今日クスカがきたとき……」
「ああ、あのことか」
 僕は取り繕うように苦笑した。
 なるほど、あのときの不機嫌は、クスカに嫉妬していたのだ、と僕はようやく理解した。嫉妬心など微塵も見せないクスカと付き合っていたせいか、そういう機微にはとんと疎くなってしまって????????m????????Uいた。
「あれは、まあいつもの軽口さ。クスカが円盤録音を嫌がってるのは知ってるから、すこしからかったんだ。でもわかった。レイチェルが気にしてるんなら、君以外の吟遊詩人には、たとえクスカでも、その機械は使わせないと約束する」
 レイチェルはぱっと表情を明るくして、僕に飛びつくように抱きついた。
「ありがとう!」
「おいおい、大げさだな」
 僕はなだめるように彼女の髪をなでた。上質の匂油のいい香りがする。彼女は僕の背中に回した腕に、そっと力を入れた。
「だって、嬉しいもの。先生が、クスカよりあたしを選んでくれて」
「ちょっとまってくれ、誤解を招くような言い方は――」
 僕はそれ以上言葉を続けられなくなった。彼女の唇が、僕の口を塞いでしまったのだ。右手に持っていたティーカップが転がって、中身が床にこぼれた。
 レイチェルは僕の首に右手を回して、長いくちづけを求めた。

 僕とレイチェルが、クスカに内緒のまま深い仲になるのに、それからものの一時間とかからなかった。我ながら、自制心のなさにはあきれ返るばかりだ。
 もっとも、レイチェルは美しかったし、その魅力にこれまで少しも惹かれていなかったかといえば嘘になる。クスカと研究を言い訳にして、意図的に彼女と距離をとってきたのだが、あの夜の出来事で、その薄い城壁は崩れ去ったのだ。
 翌日になって朝帰りした僕を、クスカは笑顔で出迎えてくれた。
 なんとなくばつの悪い思いで戸をくぐった僕とほとんど入れ違いで、いそいそと支度を終えたクスカは、仕事に出ていった。下町の酒場で、久しぶりに歌の仕事が入ったのだと言った。彼女は僕らに気をつかって何も言わなかったが、円盤が普及したせいで、生演奏の吟遊詩人たちは仕事が徐々に減ってきていたということも、僕は知っていた。
 クスカに対する罪悪感は増幅する一方だった。
 一人になった部屋の中で、僕はベッドに座り込んで、しばらく昨日の夜のことを思い返してから、深く長いため息をついた。
 そして、ごろりとベッドに身を投げ出して寝転がった。
「クスカ、ごめん」
 小さな声で、僕は呟いた。誰もいない部屋の天井に、その呟きはやけに大きく響いた。

 それからしばらくして、ローカスたちと久しぶりに会った。
 僕とレイチェルはあれ以降も、性懲りもなく関係をもち続け、もう戻れないところまで来ていた。
「友人として、忠告していいか?」
 ローカスは、僕が酔った勢いでレイチェルとのことを相談すると、しばらく黙って聞いていたが、やがてそう切り出した。僕が頷くと、東方少数民族出身のパーティリーダーは、真摯な表情で言った。
「秘密というのは、たいてい、一番秘密にしておきたい相手には露見するものだ。クスカさんが気づいてないと思ってるのは、お前だけかもしれんぞ」
「だよねえ」
 アヤカが酔っ払った口調で相槌を打つ。彼女は、私が話をしている間中、「そりゃあんたが悪い」と繰り返していた。
「そういや最近、レイチェルの歌って艶っぽくなったな、って思ってたのよね」
「そ、そうかな」
「特にさ、恋の歌を歌うときの表情とか、恍惚としてるもんね――クスカがあれ聴いてたら、確実にばれてるわ」
「まさか……」
「女の勘をなめちゃあいかんですよ、賢者殿!……エールもひとつ!」
「飲みすぎるなよ、ったく」
 ブルーギルは彼女をなだめながら言った。
「――まあ、一番いいのは正直に言うこった。それでスパッと振られるか、よりが戻ればめっけもん、てね。お前の気持ちが今どうなのかわからんが、どっちつかずってのが一番いけねえぜ」
「わたしも同意見です。罪を認め、悔い改めるものを、ファリスはお見捨てにはなりません」
 ユイランの言葉は、ブルーギルの意見とはやや趣を異にしているようにも思えたが、僕の決心を促すと言う点では一緒だった。
「そうだな……すまん、こんなことを話すつもりはなかったんだが」
「なあに、長い付き合いだ。遠慮するな。話すだけでも楽になろうて」
 アバードはそう言って、僕にエールをすすめた。それを一気にあおって、僕は当たり前の決意を口にした。
「よし、決めた。クスカになにもかも話して、謝る」
「よく言った。それでこそ男だぁ!……ヒック」
 アヤカが何杯目かのジョッキを掲げ、見る間に干す。
「おめえは女か、それでも」
 酒に弱いブルーギルは、横目でそれを伺いながら、はきそうな表情を見せた。
 皮肉にも、そこでその店の亭主が用意したのは、レイチェルの歌を録音し????????m????????Uた円盤だった。
 円盤の需要も増えてきている。
 目新しさもあったが、やはりレイチェルの歌声が聴く者の心に何かを訴えるからこそ、この成功もあるのだ。
(レイチェルのためにも、醜聞になるような事態は避けたい)
 僕はしばし、歌に耳を傾けた。
 レイチェル。才能と気概にあふれた、それでいて努力家の少女。彼女の一所懸命さは、傍で見ているだけでも伝わってくる。僕の身勝手に彼女を巻き込んではいけない――。
 そんな身勝手なことを、酒精に浸った頭でうとうとと考えているとき、僕はふと、おかしなことに気づいた。
「……この歌、違うぞ」
「なにが? レイチェルの歌でしょ」
 アヤカは皮肉たっぷりに、彼女の名を口にした。
「もっとも、毎日ナマの歌声やらアヘアヘ声やら聞いてたら、録音円盤の声は違って聞こえるかもしんないけどね」
 僕はかぶりを振った。
「そんなんじゃない。この音の劣化――僕の研究室で録音されたものとは違う」
「なんだと?」
 ローカスは真顔に戻って、僕を問いただした。
「つまり、どういうことなんだ?」
「わからない」ほんとうに、そのときはわけがわからなかった。
「ただ、音の劣化度合いから考えて、これは僕の研究室で録音した二次録音の普及版を、もう一度焼きなおしたものに近い。三次録音は商品として問題があるから、出回ってないはずなんだけど……」
「おい、亭主!」
 ローカスは即興で一芝居打った。
「なんだ、この歌は。ろくな吟遊詩人を雇う金も無いのか?」
「こ、こいつは録音盤てやつで、いまの流行なんでさあ」
 亭主は一瞬うろたえた表情になった。
「レイチェルをご存知じゃありませんか?」
「知っているとも。本物はこんなへたっぴいじゃなかったぜ。どれ、その録音なんとかを見せてみろ!」
「ああ、困ります」
「うるせえ!」
 泥酔したふりをして、ローカスはカウンターの向こうに身を乗り出し、円盤演奏用の鉢から、問題の録音円盤を有無を言わせずひったくった。亭主の悲鳴を背中に聞きつつ、彼は円盤を僕に投げよこした。
 僕はいそいで、円盤を入念に調べた。
「ない」
 僕が、商品として売り出している円盤に必ず刻印している学院の紋章と、レイチェルの名前の刻印が、その円盤にはなかった。
「どういうことだ?」
「これは、僕の研究室で録音されたものじゃない。考えられるのは――他の録音装置で、僕の知らないところで複製されたものだ」
「……つまり、偽物、ってことか」
 僕は頷いた。

 事態はややこしい。録音されているのはたしかにレイチェルの声なのだ。
 劣化しているとはいえ、その歌唱力のなせるわざで、三次録音でも、普通の吟遊詩人の演奏よりよほど上手い。だが、円盤そのものの出所が、僕の研究室でない以上、偽物ということになる。なにせ、レイチェルに演奏料相当の分け前が入ってこなくなるのだから、立派な営業妨害だ。
 今のところ、録音装置は僕の研究室にある一台しか、発見されたという報告は受けていない。とすると、魔術師ギルドに届け出られていない、別の録音複製装置が存在する、ということだろうか。
「内部の人間の犯行かもしれんな」
 ローカスがもっともな意見を述べた。
 僕がそれを否定したのは、感情的な反応ではなく、根拠があったからだ。
「僕がいないとき、録音装置も複製装置も、厳重に鍵のかかった、学院の宝物庫にしまいこんであるんだ。持ち出すことは不可能だよ。それに、よしんばそれが可能だったとして、僕が犯人だったら、劣化の激しい三次録音なんかつくらず、マスター盤から複製するね」
「とすると、やはり他に、録音装置があるってことだ」
「とりあえず、偽物がどれぐらい出回ってるか、盗賊ギルドにでも要請して調べてもらおう。アヤカ?」
「へえい。サイテーフタマタ野郎の手助けなんて、本当はまっぴらなんだけど」
「そういわずにさ。腐れ縁だろ」
「そうなのよねえ。ったく、世話のやける……」
 と言い残し、アヤカはそのまま闇にまぎれた。
 他の面々も、それぞれのつてで捜査を開始した。
「僕は、何をすればいい?」
 残された僕は、途方にくれた。
「そうだな」ローカスは僕の肩をぽんと叩いた。
「クスカさんにちゃんと謝れよ。そしてきっぱり振られてこい」
「……そうだな」
 僕は力なく頷いて、家路についた。

 帰り道でも、一人で浮いたり沈んだりを繰り返し、腹を決めて下宿の扉をあ????????m????????Uけると、そこにいたのはクスカではなかった。
「お帰りなさい先生!」
「レイチェル」僕は、何がなにやらわからず、確かめるように彼女の名を呼んだ。
「ここに来てはいけないって言ったろ――クスカは?」
 レイチェルは首を横に振った。
「クスカなら、帰ってこないわ」
「なんだって?」
 尋ねた僕に、レイチェルは小さな包みを手渡した。
 中には、一片の羊皮紙に書き付けられた手紙と、虹色の円盤が一枚。クスカと出会った日に、彼女にプレゼントした録音円盤だった。
 僕は急いで手紙を読んだ。
 文面は、立った二行だけだった。

 雲雀は、空に戻るときがきたみたい。
 君からもらった虹は、返します。

「クスカ……」
 僕はわけがわからず、何度も手紙を読み返した。
 レイチェルはため息をついて言った。
「あの子がいけないの。――きいて、先生。クスカがあたしの歌を盗んだのよ」
「歌を、盗んだ?」
 僕は、くだんの偽円盤のことか、と一瞬思ったが、どうやらレイチェルの口ぶりからすると、別の話のようだった。
 彼女はまくし立てるように言った。
「狐小路の『白いブランコ』で、彼女が歌ってたの。あたし今日、お休みをもらったから、久しぶりにお客として行ってみたのよ。そしたら偶然、クスカのステージをやってて。そこで――あの子、あたしの歌を歌ったの。先生、覚えてる? あの日録音した『星への翼』って歌」
「あ、ああ」と、僕はようやく、それだけ答えた。
「あの歌は――あたしの大事な歌なんです。あたしの心の一部。先生への思いをこめた、大事な言葉。それを、他の人に歌われるなんて。たとえ友達でも許せなかった」
「喧嘩したのかい」
 僕はおおよその事態を察した。レイチェルは頷いた。
「ええ。楽屋に押しかけて、この部屋まで歩きながらずっと。彼女は、『綺麗な歌だから、ボクも歌ってみたくなった』とか言って。あたしの言うことを理解しようとしないの。あの子にとって、あたしの人生のかけらから生まれた宝石のような歌ですら、道端で拾った小石と同じなのよ!……あたしは腹が立って、『じゃあ、あなたの一番大事なものがあたしに奪われても、文句ないわね』って」
「……それで?」
 僕が先を促すように尋ねると、レイチェルはポーチから、一枚の録音円盤を取り出した。
「これを、聞かせたの」
「それは!……いつの間にもちだしたんだ?」
 僕が険しい表情になるのを見て、レイチェルはいまにも泣き出しそうな顔で言った。
「持ち出したのは、あの夜よ」
 彼女はその円盤を、洗面台の水桶の中に沈めた。円盤が旋回をはじめる。
 そこに録音されていたのは、僕がクスカを裏切ったあの夜の、一部始終だった。
 僕は蒼白になって、レイチェルの胸ぐらにつかみかかった。
「こんなものを、いつの間に録音した!」
「痛いわ」
「どうして、クスカに――」
「離して、先生」
 僕は、レイチェルの首を締め落としそうになっていることに気づいて、手を緩めた。悪いのは僕だ。彼女に怒るのは筋違いではないか。
「……すまない」
「いいの。ただ、――ただ、悔しかったんです。あたしがどんなに、先生への思いをこめて歌っても、先生は気づいてくれない。他に誰もいない防音室で、かわいいステージ衣装を着て歌うのだって、先生にあたしを見て欲しかったから。なのに、先生はいつもクスカの方ばっかり向いていた」
「そんな――」
 僕が言い訳をしようとすると、レイチェルはかぶりを振った。
「わかっていたの。あたしは、どこまでいっても――たとえ先生と結ばれても、あの子の、クスカの身代わりでしかないって。だから!……悔しかったから、ちょっと苦しんでもらいたくて。そうしたら……」
 レイチェルはそれ以上言わなかった。何もいえなくなったからだ。僕の沈黙と、レイチェルの嗚咽が、暗い部屋に響いた。
 僕はもういちど、クスカの置手紙を反芻した。
 この短い言葉に込められた、かつて恋人だった小さな雲雀の心の痛みを、重みを、はたして僕は、すべて受け止めることが出来ただろうか。

「偽の円盤、思ったより出回ってるみたいだね」
 アヤカの報告は、クスカを失ってどん底だった僕に追い討ちをかけ、更なる絶望の淵へと追いつめた。
「あんたの読みどおり、他の遺跡から複製を作れる魔法装置が見つかって、学院に届け出られないままになってるらしいねえ。それが、一つじゃないらしいんだな」
「らしい、らしいって、お前真剣に調査したのか?」
「失礼ね。あたしを誰だと思ってるの?」
「……で、ほかに幾つあるんだ? 魔法装置は」
 ローカスが僕の代わりに尋ねる。アヤカは肩をすくめた。
「二つ以上、無限大未満。詳細は不明よ。ともかく、そのうちいくつかは、うちのギルドに所属してる盗賊が持ってるらしくて、情報屋もお頭も、それ以上の情報は、だんまり」
「ギルドに頼んで、取り締まってもらえないのか?」
「間抜けなこと言ってんじゃないわよ。盗賊ギルドは衛視隊じゃないわ。ギルドに所属してまじめに上納金納めてる盗賊がやってる限り、それは『正当な犯罪行為』なんだから」
 結局この件については、なんら有効な手が打てないまま、なおざりになった。
 粗製濫造された偽円盤は、幾何級数的に増殖して、一時的にオラン中の酒場を席巻した。劣化したレイチェルの歌声が蔓延する中、やがて人々は、かつて新奇だったこの魔法装置に飽き、円盤の存在は忘れ去られていった。
(歌はどこにでも落ちてる。ボクらはそれを拾い上げて、磨いてやるだけさ)
 円盤に記録された音楽は、複製を重ねるごとに劣化していく。一つの円盤に収められた演奏は、いつ聞いても寸分たがわず繰り返される。
 かつてクスカの言ったように「拾い上げて、磨く」ことにこそ、歌うことの本質があるとすれば、録音円盤の頒布を中心に発達した古代王国の音楽文化は、本質を忘れた、まがい物だったのだろう。

 レイチェル本人は、あれからも歌い続けている。円盤との違いを出すため、ステージでの演出やアレンジに頭を使うようになったことで、演奏家として、歌い手として一皮むけたようで、今では実力派の歌姫として皆が認めている。自分の歌を他の吟遊詩人が歌っても、あまり騒がなくなったようだ。貫禄がついたということか。
 僕は相変わらず、円盤の研究を続けているが、あの一件以来、レイチェルとは以前のような関係を保てなくなって、やがて疎遠になった。たまに酒場で会うと、お互いに気まずくて、遠慮がちにあいさつを交わす。研究のほうは、今は新人の吟遊詩人たちを臨時で雇って、録音に協力してもらっている。この研究成果が認められて、導師の称号も得たが、研究費の助成は相変わらず少ない。
 ローカスら冒険仲間たちは、皆それぞれに偉くなってしまって、遺跡や迷宮にもぐることもまれになった。ローカスは自分の船を買って、外国との交易を取り仕切る小さな海運会社の頭取になった。ブルーギルは「車輪の騎士」の称号を受けて城づとめ、ユイランは地方都市のファリス神殿の司祭長となり、アバードは栴檀通りで建具の工房を開いた。盗賊ギルドの小頭にまで昇進したアヤカは、来年の春に結婚する予定だ。

 クスカは――あの自由な雲雀は、今もどこかの空で歌っているだろうか。あの頃の僕らの、ひび割れだらけの苦い思い出を、宝石のような歌に磨き上げて。


(終わり)